雅子皇太子妃という「陰」

ここでは、陽の当たる薔薇と日陰の薔薇のエピソードが、美智子上皇后の高い感受性と「弱い者に目を向ける姿勢」を裏付ける、一つの美談として描かれているが、私の受け取り方はまるで違っていた。

これまで述べてきたような美智子上皇后の人間性を考えると、「陽の当たる薔薇」はまるで自分のことを言っているように感じられるし、日向の薔薇が輝くために「日陰の薔薇」という“引き立て役”が必要だ、と言っているようにも感じられる。

一方が「上げ」られるためには一方が「下げ」られる。輝くべきものが正しく輝くためには犠牲になる陰が必要になる。陰がなければ輝けない。この少女の言葉には、将来嫁ぐことになるのがそうした世界であることを、小学生ながらに見通していたかのような凄みがある。

現実として、平成の時代、美智子皇后は雅子皇太子妃という「陰」を得て輝きを増した。陰があるからよけいにきれいに見える。遠い日に少女が庭の薔薇に見出したのは、まぎれもない真実だった。