金の不安を抱えた八雲、体調を崩したセツ

だから、八雲のカネの心配はずっと続いている。

熊本に着いたのは11月末。荷解きもそこそこに、八雲が松江の旧友・西田千太郎に書き送った手紙では「物価が東京並みに高い。物によっては東京より高い」という愚痴を書いている。月給200円の男が、着いた早々に物価の高さを嘆いている。西田も読みながら苦笑したのではないか。「あなた、十分すぎるほど稼いでいるでしょう」と。

しかしそれでも不安は消えなかった。6月27日付の西田宛て書簡には、ついにこんな本音が飛び出す。

外国人としてやるべき唯一のことは、解雇されないうちに十分に金を貯めることであり、しかし小都市ではあまり首尾よくそうすることはできません。(『ラフカディオ・ハーン著作集』第14巻 恒文社 1983年 以下手紙の引用は同じ)

「解雇されないうちに」――この一言に、すべてが詰まっている。

こんな八雲の不安が伝染したのか、梅雨が明けた頃からセツも体調を崩している。同年7月18日の手紙で八雲は西田にこう記している。

セツはあまり健康ではありません。私はこの夏、彼女が旅行することに耐えられるか、確信がありません。私は暑さが好きですが、彼女は好きではありません。しかも、食物がよくありません。

金の不安を抱えた夫と、体調を崩した妻。熊本の夏は、二人にとってなかなか過酷だったようだ。

ラフカディオ・ハーンと妻のセツ
ラフカディオ・ハーンと妻のセツ(写真=富重利平/Japan Today/PD US/Wikimedia Commons

「もう逃げない」子供ができた八雲の覚悟

しばらくして快方に向かったのか、八雲はセツを連れて夏の京都へ旅行し、松江にも立ち寄ることを西田に伝えている。ただその手紙でも、セツのことを「以前と比べて非常に痩せています」と書いており、本格的に回復したのは秋になってからだったことが手紙の文面から窺える。

こうした不安な時期を越え、秋が来る頃には、八雲も腹をくくったようだ。西田への手紙を追っていくと、調子がふっと変わっている時期がある。例えば同年12月13日付の西田への手紙にはこう書いている。

もし3年以上日本に残っておれたら、セツと私自身は独り立ちすることができると存じます。でも、見通しはまったくはっきり致しません。

「見通しはまったくはっきり致しません」つまり、相変わらず先は見えていない。それでも愚痴から「覚悟」へ。この頃を境に、西田への手紙から経済的な不安への言及はぐんと減っていく。

そしてその覚悟が固まった頃、セツのお腹に新しい命が宿った。

1893年2月19日付の西田宛ての手紙に、初めて子供が生まれることへの言及が現れる。そこで八雲はこう書いている。

どんな場合でも、みんな一緒に暮らす方がよいのです。

金の不安を嘆き続けた男が、「どんな場合でも」と書いた。この一言に、八雲の覚悟のすべてが詰まっている。契約が切れようと、給料が下がろうと、もう逃げない――そう腹をくくった男の言葉だ。