近代初の譲位を成した皇室典範特例法
危機は、皇太子(のちの昭和天皇)が摂政となることで回避された。
平成の時代、現在の上皇が譲位の意向を示したときにも、摂政を置くアイデアが出た。だが、上皇はそれを拒否した。そうなると、皇室典範に譲位の規定がない以上、それを改正するしかなかったはずである。しかし、天皇の意思による譲位を認めると、それがくり返され、政府の圧力で譲位したり、天皇が譲位をほのめかして政権に影響を与える可能性が出てくる。そこで、皇室典範は改正されず、一代限りの特例法によって譲位が実現したのだった。
皇室典範が改正されなかったのは、いま挙げた理由もあったことだろう。だが、もともと天皇家の家憲であったという重みが、そこに加わっていた可能性がある。旧皇室典範が存在した戦前の時代には、天皇は「君主」であり、一般の国民は、それに従う「臣民」だった。臣民が君主の定めたものを改めてしまうことは畏れ多い。その感覚が、どこかで働いていたように思われるのだ。
旧皇室典範が定められたとき、同時に大日本帝国憲法が制定された。この日本で最初の近代憲法を作り上げる際に、その作業に当たった伊藤博文などは、海外では宗教、つまりはキリスト教が国家を支える「機軸」になっているが、日本の宗教はその役割を果たせないと考え、皇室に機軸の役割を求めた。長い歴史を経てきた皇室こそが、日本の伝統を支える基盤になるというわけである。
保守だからこそできる皇室典範改正
だからこそ、大日本帝国憲法の冒頭では、天皇の地位が万世一系で、神聖なものであることが強調された。日本国憲法では、そうした考えはとられなくなったものの、天皇についてはやはり冒頭で言及され、日本国の象徴、日本国民統合の象徴と定められた。その点では、依然として皇室が日本の戦後国家においても機軸の役割を果たしていると見ることもできる。
保守派は、そうした皇室の伝統の要になるのは、歴史上ずっと「男系男子」で皇位が継承されてきたことにあるという立場をとってきた。
しかし、それを規定した皇室典範を改正することは、過去における天皇の決定をくつがえすことにもなってしまう。皇位継承の安定化をめざして皇室典範を改正することは、伝統を破壊する側面を持っている。果たして、保守派の間で、そうしたことが議論になったことはあるのだろうか。
そこに決定的な矛盾があるのだが、高市首相が先導する形で皇室典範の改正がなされたとしたら、それは重大な変革である。旧皇室典範から考えれば、130年以上一度も改正されてこなかったものが変わるからである。もし左派の政権が改正に乗り出せば、保守派はそれを伝統破壊として厳しく糾弾し、なんとしても阻止したであろう。その点では、保守派しか、それはできない。高市首相はそこを突いたのだ。

