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他の政治家とはレベルの違う「信用力」
無名の農民から天下統一へ――。稀代の策士、豊臣秀吉のカリスマ性は万人が認めるところですが、どんなカリスマでも組織を一人で動かすことはできません。周囲の強力なサポート体制、なかんずくトップを全面的に支える補佐役の存在が欠かせない。その意味において、秀吉の暴走しかねない局面で周囲との調整を試み、組織安定に大きく寄与したのが弟・秀長の存在でした。
もし秀長が長生きしていたら、豊臣政権は違う形で持続していたのではないか。そんな見方もあるようです。
その構図はそのまま現代の政治や企業経営にも当てはまります。例えば憲政史上最長の安定政権となったのが第二次安倍政権ですが、その裏側には「チーム安倍」と呼ばれる堅固なサポート体制がありました。なかでも官房長官は、政権の広報、調整、危機管理を一手に引き受ける、いわば政権の心臓部です。言うまでもなく、その役割を果たしたのが菅義偉さんです。
菅さんの熱烈な「安倍推し」は有名で、「趣味は安倍晋三」の名言もあるほどです。実際、菅さんがいなければ、第二次安倍政権は実現していなかったに違いありません。第一次政権から退陣後の安倍さんは当初、総理・総裁への再挑戦には消極的だったといいます。そこを粘り強く説得し、再挑戦の環境を整えていったのが菅さんです。立候補に躊躇する安倍さんを「あなたしかいない」と焼き鳥屋で説得したというエピソードも有名ですよね。
なぜ半端な政治家ほど飲み食い政治に走るか
とはいえ人間、いくら自分推しの人が熱く語っても、「総裁選再出馬」という重い決断は簡単には下せません。そこを押したのは、最終的には菅さんの「信用力」だったと僕は思います。「信用力」とは何か。それは「できることは『できる』と言い、できないことは『できない』と言う」。このことに尽きます。ただし、こんなシンプルなことでも実行するのは案外難しい。
人は往々にして自分の力を大きく見せたくなるものだし、特に政治の世界では、「あの人に任せればなんとかなる」と相手に思わせるのが一種の“商売”になってしまっているから。実際には何の決定権もないのに、誰よりも早く情報を仕入れて周囲に流すことで、あたかも決定に寄与したのは自分だという印象を与える。中途半端な国会議員に限って「情報収集」こそが“政治家の仕事”と勘違いし、そのための飲み食い、接待に心血を注ぐのです。
ところが菅さんという人は、自身を大きく見せるための大言壮語は一切しない人です。僕自身、「大阪維新の会」結党の頃からずいぶんお世話になってきましたが、菅さんは、できないことは「それは無理だ」と明言し、「だけど、これはできる」と約束したことは必ず果たしてくれました。
補佐役とか参謀役は、万人から愛される立場ではありません。むしろ「できないことはできない」と明言するからこそ、時には人から嫌われ、疎まれ、恨まれることもある。でも、そこで八方美人を演じてしまえば、「調整・調停・決断」はできません。本来ならリーダーが受けるべき批判や非難もすべて自分がかぶる。そういう「憎まれ役」を引き受ける覚悟を持つのが、名補佐役の条件だと思います。
他方、無駄に敵をつくらず周囲と柔軟に交渉する「包容力」も必要です。意見を異にする政敵やライバルを常に言い負かし論破し続ければ、いたずらに敵をつくるだけ。安倍政権は安倍派だけではなく麻生派や二階派などの有力派閥とも絶妙な力関係でバランスを保ち続け、異なる意見に耳を傾けることができた政権でした。そりゃ長期政権になりますよ。
そんな菅さんから僕は、折に触れ「もう少しうまくやったらどう?」と苦笑交じりに助言されたものです。
例えば僕が政治家を引退するきっかけになった、2015年の大阪都構想に関する住民投票。実は法的にはやらなくてもいい投票なんです。でも僕はあえて都構想に好意的な府民ではなく、反対派が多い大阪市民に絞り住民投票をやって信任を得たい、と主張して譲らなかった。
すると菅さんは、「橋下さん、もう少し大人になったら」と呆れ顔。僕はとにかく、激烈な反対派が多い大阪市民の住民投票で信任を得た形で都構想を実現したかったんですが、結局は僅差で否決。あの時、菅さんのアドバイスに従っていたら、僕の後を引き受けてくれた吉村洋文さんが、今のように苦労することもなかったかもしれませんね(苦笑)。
リーダーと補佐役は別物ですが、車の両輪でもある。片方の輪だけでは組織は回らず、両者は対等の立場としてのバディとも呼べるものです。
ただ注意点もあります。両者は対等でありながら、最終決定権はリーダーが持つことを両者が認識することです。リーダーは時に「憎まれ役」も演じてくれる補佐役がいるからこそ、常に鷹揚に構え、愛されキャラを演じることができる。一方で、あらゆる陳情、情報は補佐役に集中しがちです。
両者の役割をはき違え、リーダーが「すべてを掌握したい」と欲するとか、補佐役が「自分こそ組織を率いるに足る」と願ったりすると、組織のバランスは一気に崩れます。後者は要するにクーデター。明智光秀もそうでした。補佐役、参謀役としての自身の立場と「看板」になりたい欲求のはざまで、悲劇的な選択をしてしまったわけです。ただし、看板的なリーダーと補佐役を同時に兼ねるのは至難の業。「一人二役」を演じきれた偉人は、過去にもほとんどいないでしょう。
高市首相や野田さんに良き補佐役はいるか?
その意味において、名補佐役からリーダーに就任した菅さんはどうだったか。菅さんはリーダーとしての能力も優れたものだったと僕は思います。ただいかんせん、新型コロナウイルスのパンデミック下という特殊な状況に加え、一番の痛手は、自分に代わる“名補佐役”がいなかったことでしょう。
「菅首相には菅官房長官がいなかった」と評されるゆえんです。
そうしてみると、幸いなことに僕には松井一郎さんがいました。今の政界を見回すと、国民民主党の玉木雄一郎代表には榛葉賀津也幹事長という心強い補佐役がいます。ただ、高市早苗首相や中道改革連合の野田佳彦さんの場合はどうでしょうか。
リーダーが名補佐役と出会えるかどうかは、いわば時の運。努力ではいかんともしがたい人との縁でもある。そんな奇跡的な両輪の輪が回り始めたとき、組織も国家も、腰を据えて前に進めるのだと僕は思っています。



