帝大の月給は約1600万円と高給
外山とあるのは帝大の文科大学長を指しています。
チェンバレンはこまやかな気配りをして、作家としてのハーンの誇りも傷つけないようにしました。しかし、ハーンがどれほど功績のある作家だとしても帝国大学で教える仕事は、確かに「けっして悪いもの」ではなかったでしょう。しかも、それは東京で暮らすという意味でもありました。
「東京で本当に静かな暮らしができる可能性はというと、これほど容易なこともないのです。この都会はあまりに大き過ぎて、わずらわしさから自由にならざるを得ないのです。」
その次の手紙ではチェンバレンは、東京という大都会の生活は、一人になるにはきわめて都合がよいといっています。地方の町よりも個人主義が発達しているので他人が生活に立ち入らないのです。
翌年の9月からハーンは帝国大学で英文学を講じることになりました。月給は400円(現在の約1600万円)で、『神戸クロニクル』の実に4倍でした。
妻や子を連れて東京へ移り住む
チェンバレンの言葉はある部分正しかったようです。東京ではハーンはわずらわしい人間関係を避けて、家と大学を往復しながら規則正しく毎年1冊ずつの著作を発表しました。
ハーンは正規の教育を受けたわけではなく、ほとんど独学で英文学を学んだのですが、その講義は学生たちに絶大なる人気がありました。まさか帝国大学で教えるようになるなどと本人ですら夢にも思っていなかったでしょうが、ハーンの文学的教養の深さは、じゅうぶんにその責務に耐えられるのみならず、誠実な教え方で学生たちの心を魅了したのでした。


