わずか3年で熊本を去った
初めからハーンが生理的に熊本という土地を受け入れられなかった様子をじゅうぶんにしのばせる描写といえます。それでも3年間、教壇に立った後に、1894年には神戸へ居を移すことを決めます。この前年にはセツとの間に長男の一雄が誕生していました。
熊本時代のハーンの行動を見て興味深いのは、実によく旅行をしていることです。
赴任した年の翌年の春休みには博多から太宰府へ行き、夏休みには博多、神戸、京都、奈良、広島、隠岐と周遊の旅に出ています。当時の交通事情などを考えると大移動だったと思われます。これ以外にも小旅行を何度もしました。
しかし、これら一連の旅は、もはや放浪とは呼べないものでした。ハーンの傍らには、ほとんど常に妻セツの姿がありました。また、経済的にも、空腹を抱えたまま木賃宿を泊まり歩いたアメリカ時代と違って、ずっとゆったりとした旅行だったのです。
そして、これらの旅は後のハーンの作品の素材となったという意味では楽しい取材旅行だったはずです。
同僚教師との確執が激しくなった
熊本の学校では、次第に同僚との確執が激しくなり、また著作の出版をめぐっては出版社と対立し、必ずしもこころ穏やかな日々ばかり続いたわけではありませんでしたが、家庭生活の安定によってハーンは人間的に成長したと自分自身も感じていたようです。熊本時代に友人のワトキンに宛てて書いた手紙の中に次のような一節があるのです。
「いましばしば不思議に思いますのは、あなたの生涯で最低の甘えん坊が振る舞った並外れた非人間的な愚挙醜行の数々を、あなたがじっと耐えてくださったことです。あなたを悩ませ、憤慨させた、私の不届き千万の、卑劣で、馬鹿げた憎むべき行為のすべてを思い出すと、どうしてあなたが私を殺そう――神々のいけにえとして――と思わなかったのか、まったくわかりません。私は何たる大馬鹿だったろう!――そして、あなたはどうしてあんなに親切でありえたのか? また、なぜ人間はこうも変わるものなのか。昔の自分はこの地上に存在することを許されてはならなかった、といまの私には思えます。――それでいて、いまだに私のなかに、時々、昔の自分をありありと思い出させる忌まわしい名残りを感じることがあります。」


