国家による教育は、国家が指向する政策を実現するために要望される人材のイメージに従って、その骨子と内容が決まっていく。戦後の日本では、産業・経済の復興のために、工学部門に徹底して力を入れていたのだが、それは当時の国家の要請でもあった。

本書は、「今日の世界において、民主的市民精神のための教育はどうなっているのでしょうか? 非常に貧しいものであると私は憂慮しています」という危機意識のもとに、著者自らマニフェストであると宣言している書である。

どんな領域にしろ、マニフェストという形で書かれた文章は、眠気を催しがちになる。正論であればあるほど、読むのに根気と忍耐がいる。本書にもその弊害があって、私など何度も眠気に勝てず放り出したが、数回目の試みでようやく著者の危機意識と学識の深さに触れるところまで読み進み、読み終える頃には、いささかの興奮すら覚えていた。

著者の危機意識とは何か。私が眠気を免れることができなかった冒頭の章に、本書の基調となっている著者の言葉がある。

「国益を追求するあまり、諸国家とその教育システムは、デモクラシーの存続に必要な技能を無頓着に放棄しています。こうした傾向が続けば、そのうち世界中の国々で、自らものを考え、伝統を批判し、他人の苦悩と達成の意味を理解できる成熟した市民ではなく、有用な機械のような世代が生み出されることになるでしょう。(中略)実質的に世界のすべての国々で、人文学と芸術が(中略)切り捨てられつつあります」

つまり世界中が、国の経済的利益のための教育(科学・工学・技術)に的を絞り、人文学と芸術という、民主主義の基本となる批判的思考を育てる教育を無視していることに対するマニフェストなのである。

民主主義を守るには、あらゆることに対し、「批判的な問いかけ」という理想への忠誠によって命を落としたソクラテス的な議論ができる市民を育てることが必要だという。しかし、経済成長の最大化だけが教育政策の基本となることにより、自分の頭で考え、議論をする能力は不必要とされた。そうして批判的問いかけの基本となる、あるいは本当の意味での創造性をつくる人文学や芸術を切り捨てた教育に堕すことが、民主主義の危機につながるのである。その典型が、「無駄な教育をせず、学生たちにひたすら職業への準備をさせている」と、シンガポールの教育を称賛するオバマ大統領の言葉である。

最後に著者の思いを要約した文を引用しておこう。

「私たちは富の追求に気を取られ、思慮深い市民ではなくて利益を生み出す有用な人間を育成することを、ますます学校に求めるようになっています。コスト削減の圧力に押され、健全な社会を維持するのに、まさに必要不可欠な教育的努力を切り詰めてしまっているのです」

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