デマ規制は慎重であるべき、そもそも意味がない

そこで気になるのが、「デマを規制すべきだ」という論調だ。実際に、衆院選直後にも、前外相の岩屋毅氏(自民党)が、自らも事実に基づかない誹謗中傷を受けたとして、「一定の合理的な規制」があるべきだとの姿勢を示した。

ただ、いざ規制となった場合にも一筋縄にはいかないだろう。何をもって規制対象とするのか。先ほど言ったように、完全なる事実無根と、部分的には事実である“切り取り”が、同じ「デマ」の一言で片付けられている現状では、必要以上に表現の自由を狭めてしまう可能性がある。

また選挙期間は、地方議員選挙レベルだと1週間程度と短く、その間に司法判断を下すのは極めて難しい。そこには、流言飛語が拡散されても、投稿者が逃げ切りやすい構造が存在する。法規制を行ったとて、効果は限定的と考えられる。

なお筆者は基本的に、表現活動への公権力の介入に批判的な立場を取っている。当然ながら、事実無根の内容や、度を超えた誹謗中傷については、司法により判断されるべきだと考える。あくまで私刑ではなく、法的に処罰されることが重要だ。

フェイクニュース
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「自民大勝で戦争」を追い風にした自民

衆院選をめぐっては、“反対側のデマ”も存在した。野党支持者が行った「自民躍進で戦争になる」のようなキャンペーンも、これまた印象操作と言えるだろう。たとえ憲法9条に自衛隊を明記したとしても、それすなわち開戦の合図とはならない。

しかし、一部のリベラル陣営は、「高市政権を続投させれば、必ず戦争が起きる」かのような主張を繰り返していた。これは事実に基づかないデマではないか。根拠に乏しいため、むしろ“切り抜き”よりも悪質である可能性はないだろうか。

ここで注目したいのは、そうした風評があるにもかかわらず、自民党が圧勝したことだ。これらのネガティブな投稿は、むしろ「戦争に耐えうる強い日本を作る」という高市支持者による物語に巻き取られ、より“ブレない指導者”への支持を補強する原動力になった。

筆者は高市政権に批判的だが、この姿勢には見習う余地がある。つまり「デマを味方にできるか否か」が、SNS時代の選挙において問われてくると感じるのだ。いかに自陣のストーリーに組み込むかが、勝利へのカギとなってくる。

そこで重要なのが、ネット風評を「敵陣をディスる」目的で使うのではなく、「自らの魅力をアピールする」方向性に用いることだ。結局のところ、デマを凌駕するほどの好印象を与えられる政治家が「強い」と言える。