「敗因はデマ」はアンチをさらに喜ばせるだけ

そもそも「完全なる虚偽」というものは、なかなか断言するのが難しい。存在しないことの確認を、よく“悪魔の証明”と表現するが、まさにそれと同じだ。否定しようとしても、終わりが見えない消耗戦になってしまうため、「どこまでお付き合いするか」がポイントになる。

名指しされた人物は、誠実に対応しようとすればするほど、そちらにリソースが割かれてしまう。当然ながら、一番責任を負うべきは、根拠のない情報を発信・拡散した人々だ。しかし、司法判断などによる“完全なる否定”は(少なくとも選挙期間内には)難しいことから、結果的に“投稿した者勝ち”にならざるを得ない実情がある。

こうした性質を考えると、デマを敗因の中心に置くことは、あまり得策ではない。あくまで「自分たちは間違っていなかった」という弁明において、「卑怯なデマにやられた」といったストーリーを示すことで、留飲を下げようとしていると感じさせてしまうからだ。