外資系金融ママの「意外な過去」

日本でも岸田政権から「資産所得倍増と金融教育強化」を政策に入れていますが、国任せにしておくより、自分の家庭から始めるほうが現実的だと私は感じます。

なぜなら、「今すぐ」「毎日」できますし、しっかりと身につくのは結局、自主的にやったことだけだからです。

私自身が高校生の時はどうだったかといえば、「もちろん若くして金融知識を身につけて、将来設計をしていた」――というわけではありません。

むしろ、その対極。

日本の実家にいる頃は派手な格好をして遊びまくり、かなりやさぐれていました。

やんちゃな男の子と付き合ったり、警察のお世話になり、母が青ざめた顔で警察署に迎えに来てくれたこともありました。

しかし3年生になって、ふと思ったのです。

「このままヤンキー女子の王道を行き、10代で結婚して母親になる人生でいいの?」
「姉のように一流大学を出て就職する、キラキラした人生もあるんじゃないの?」

17歳でアメリカ留学を決意

そこで一大決心をし、両親に必死に頼み込んで17歳でアメリカの高校に留学したのです。プロローグに書いたように、お金で命のリスクが変わるようなシビアなアメリカに。

父は普通の会社員でしたから、ずいぶん負担をかけたと思います。

「あー、今月は電気代が高い。ランチを節約しないとまずい」

日本で普通に生きていた女の子が、いきなり外国で、すべての家計をやりくりする日々が始まりました。

青空にはためく星条旗
写真=iStock.com/CRobertson
※写真はイメージです

自分の生活は全部、自分で管理しなければいけません。今まで日本にいるときは、お金がなくなれば「ねーねー、おこづかいちょうだい」と母に手を突き出していた私が、「このお金で1カ月生きていくにはどうしたらいいか? ランチは自分でサンドイッチを作る?」と真剣に考えました。

このサバイバル生活は過酷ではありましたが、私の人生にとっては、本当にためになりました。

一人で必死に暮らし、猛勉強したアメリカ生活が転機となって、私は今の私になったと思っています。