「家では勉強しない」派だった
高校での勉強は、野球部のハードな部活が終わってから。自転車で15分の自宅へ帰宅してあわただしく夕飯をすませると、塾へ行って夜遅くまで学んだ。「家では勉強しない」派で、とにかく授業と塾時間に集中したという。
理系の選択で数学と英語が得意。英語が特に好きだったことが道を切り開いていく助けになった。
「保育園の年長の時から英語教室に行かされました。親が良かれと思ったんでしょうが、最初はいやいやでした。でも英語に親しめて、なんとなく、聞き分けられるような地力は知らないうちに付いたのかもしれません」
父親が務めている地場産業の精密機械関係の会社ではスリランカ人も働いていて、それが縁で小学校低学年の時にスリランカに2回、旅行に行って、現地の人と交流した。また、中学の終わりにニュージーランドへの語学研修に行ったり、英検2級を取得したり、英語力を蓄えていく。英検は高2の冬に準1級を取った。守屋監督が積極的に取らせているのだ。
「(野球の部活の)シーズンオフに英検対策を練習メニューに明記して時間を取っています」(ちなみに連載1回目で紹介した野球部主将を務めた女性の五味さん、女子マネの笠原さんも準1級を取得している)
英語の定期試験は「コミュニケーション」が70点。「ロジック」は80点ぐらい取れていて、学年(240人中)で10~20番だった。
平均評定は平凡な3.7からスタート
定期試験の成績は国語が苦手だったこともあり、総合では50番ぐらい。試験前に練習が休みになるときに計画を立てながら詰め込んだという。
「評定を維持できれば、とあまり気負わずあえて気楽な気持ちでいく作戦。(最高の)『5』を取るには、ということを念頭に置いていました」
高3の前期までの評定で英語、数学が5。国語もいいときは5、体育が5、あとは4で、3以下はないというから見事なものだ。
だが、最初から順調だったわけではない。実は高1の前期は「あまり勉強していなくて」平均評定は平凡な3.7でのスタートだった。野球部の活動で1年生は先輩に気を遣うこともある。心身の疲労度は本人が意識する以上にあったに違いない。
「先生に『やばいぞ』と言われて。『AOを受けるなら評定を提出しなきゃいけないし、ちゃんとやっておかないと』と」
当時は、事実上の不合格判定、スタメン落ちを食らったようなものかもしれない。
野球部は夏に3年生が引退すると1、2年生による新チームになる。秋季大会はすぐに始まるので、ゆっくりする時間はない。毎週末、練習試合が組まれ、遠く県内外へ遠征することもあった。チームの主軸の茅野にとって勉強時間の確保はなかなかままならないのが現状だった。
そんな中、尻に火がついた茅野は自ら手綱を締め1年後期で評定を4.4まで戻すことに成功した。そして2年は4.6、3年でも4.5で、トータルで4.5を保った。
「慶應の面接でも『成績がいいね』と言ってもらえました」
慶應のAOには各校ごとに出す評定の出願基準がないので、受けるのは自由。評定が3台の受験生も存在する。そこに、4.5という数字はかなり高かった。

