第3章:孫子の兵法で読み解く(II)――形篇・虚実篇
勝敗は「戦場」に現れる前に、すでに決まっている。
第2章で見た通り、中国の戦略は、戦わずして勝ち、占領という高コストな手段を回避する点に本質がある。では、なぜそのような勝ち方が可能なのか。その答えは、孫子が兵法の核心として位置づけた概念、「形」にある。孫子にとって、戦争とは偶然の連続ではなく、勝敗が内包された構造を事前に作る行為だった。
孫子はこう記している。「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求む。敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」。この一文は、現代の覇権争いを理解する上で、驚くほど示唆に富んでいる。勝つ側は、戦場での巧拙や交渉力に頼らない。勝てる形を先に作り、その形の上で戦うかどうかを選ぶ。負ける側は、その逆だ。
中国がグローバルサウスで行っているのは、まさにこの「形」を作る作業である。外交交渉や市場競争の場で優位に立とうとするのではない。競争が始まる前に、競争の前提条件を書き換える。充電規格、通信プロトコル、行政デジタル基盤、決済ネットワーク。これらは単なる技術仕様ではなく、社会が動くための共通言語だ。一度これが定着すれば、後から参入しようとする企業や国家は、互換性の壁と莫大な乗り換えコストに直面する。市場は開かれているように見えて、実質的には閉じている。これが「形」が持つ排他性である。
重要なのは、中国がこの形を形式的には強制していない点だ。多くの場合、相手国は自ら選び、自ら導入する。なぜなら、短期的には安く、速く、便利だからである。だが、その選択の積み重ねが、後戻りできない構造を作る。孫子の言う「勝ち易きに勝つ」とは、相手が自ら敗北の条件を整えてしまう状況を指す。中国の社会OS戦略は、その現代的実装に他ならない。
形篇が示すもう一つの重要な含意は、勝敗が可視化されるのは最後だという点である。生活が回り、都市が機能し、経済が成長している間、敗北は認識されない。しかし、いざ政治的に対立しようとした瞬間、選択肢が存在しないことに気づく。その時点で、勝敗はすでに確定している。

