初号機開発に10年以上を要した
ここで簡単に、包あん機誕生までの歴史を辿るため、時計の針を終戦直後まで戻したい。
レオン自動機の創業者・林虎彦は、台湾で終戦を迎えた後、金沢に引き揚げると、1951年に自らの名をつけた菓子店「菓匠虎彦」を開業する。当時は、饅頭を作れば売れる好景気だった一方、包む作業を1日中続けるのは重労働だった。
そこから着手したのが、言わずもがな包あん機の開発だった。当時は、世界中どこにも和菓子を製造する機械はなく、開発期間は5年、10年と長引いていく。
出口の見えない研究に精を出すあまり、本業の菓子店は傾いていき、最終的に「菓匠虎彦」は差し押さえに遭う。その後、一家で栃木県鬼怒川に移り、唯一残った倉庫にて再起を誓う。
憂き目に遭いながらも、背水の陣で研究開発を続けた末、1961年に世界初の包あん機「R-3型」が完成する。しかし同機は、当時としては生産能力が高すぎて、実用化を見送る。
林は研究を重ね、1963年に「自動包あん機 101型」の商品化に成功する。「夢の機械」として呼称され、町場の菓子店などを中心に受注が舞い込み、発売から3カ月で月産10台の受注が270台に拡大した。
同年にはレオン自動機を設立。ちなみに社名の「レオン」は、物質の変形と流動を扱う学問「レオロジー」から来ている。これは、お饅頭生地のような固体でも液体でもない流動性のある粘弾性物質を、科学的に解明して成形方法を編み出したことに準えて名を取った。
「和菓子のための機械」からの進化
1966年には初号機の操作性と耐久性を改良した「105型」、1968年以降は和菓子以外のパンや中華まんにも対応した「200型シリーズ」、1980年代半ばにはシャッターのように開閉して成形できるインクラスターという部品を使用することで手粉を使わずに生産できる「N208型」をリリース。
日本人の食生活の多様化に呼応するように、対応できるレパートリーを増やし、包あん機はグッと汎用性の高い“食のインフラ”として重宝されていく。
小林氏は当時を、創業者・林氏のエピソードと引き合いに、こう振り返る。
「機械で製品テストをやるときに、思うように結果が出ないこととは多々あります。一見、それは機械が悪いと思いがちですが、林はテストのやり方が悪いと考えるんですね。まず機械のテストを行う前に、機械や食品の性質を見極めて、それに合ったやり方を模索しなければならないと、現場にも常々伝えていました。
こうした発想は、林自身がゼロから包あん機を作り上げてきたからこそ、肌に染み付いている感覚なのだろうと思います」

