性被害がある子どもの問題の難しさ
新井医師の診察室は、子育て支援の場にもなっている。くり返すが、患者には母子家庭の割合がかなり高い。
「生活保護の手続きやアパートを借りること、人生全般の相談まで、けっこういろんな相談に乗っています。母子家庭の年収が非常に低いのは、母親がたいてい、非正規労働者だからです。だから生活のためには、長時間働かないといけない。そうすると、子どもが家に一人ぼっちでいるという環境になる。そんな生活をせざるを得ない母子を支援していくわけですが、いい方法があるかといえば、それほどありません。地道にやっていくしかなくて、そこが苦労しているところです」
診察室から見えてくるのは、女性ばかりがすべてを抱え込まざるを得ない状況だ。
「子どもの問題で苦労していると訴えている人たちも、話を聞いていくと、そこには性被害の問題が隠れていることがありますし、そういう問題意識を持って見ています。よくあるのは虐待から逃れるために親戚とか知り合いを頼って家を出て、そこで性被害にあって、妊娠してしまうという流れです。子どもを誰が育てるかとなると、女性ですよね。そこに、男性もいるはずなのに。子育ても仕事も、女性が一人で行う。そういう状況を見ていると、悲しくなりますね。変えていかないと、と思います」
「ほどよい親でいい」育児の大切さ
彼女たちが、新井医師に気持ちを吐き出すことができる――それは、どれだけ救いとなることか。ここでも大事なのは、主観的な視点から、いかに客観的な視点を持てるようになるかということだ。
そのために、新井医師は“対話”を重視する。念頭にあるのは、「いい親であらねばならない」という、思い込みを変えていくことだ。
「いい親でありすぎるのが、よくないんです。『ほどよい親(Good Enough Mother)』でいいんです。ある程度、適当にしてあげないと」
「グッド・イナフ・マザー」とは、イギリスの小児科医ドナルド・ウィニコットが提唱しているもので、完璧な母親による完璧な育児ではなく、ほどよい母親によるほどほどの育児こそ、乳児にとって大事だという考えだ。赤ちゃんの成長の過程に欠かせない「万能感」を手放すためには、完璧な育児ではなく、時に失敗する「ほどよい母親」の育児が母子共にきっと、ほどよいものなのだ。
新井医師の人柄で紡がれる、「楓の丘 こどもと女性のクリニック」の診察室。そこには、劇的な奇跡はない。けれども、時間をかけて積み重ねていく希望が、確かにある。トラウマに打ちひしがれ、自分なんか生きていても意味がないと思っていた人たちが、人生に価値を見いだし、自分自身を生きていく。人は変われるものなのだ。それこそ、大きな希望ではないか。


