海運がつないでいた人の流れ
何より、三津地区には三津浜港があった。昭和の往時には、この港と駅をつなぐ街路に面する三津浜商店街を、恒常的に人が行き来していた。港の重要性が高かった時代である。瀬戸内海をまたぐ橋はなく、四国のなかの高速道路などの広域道路も未整備だった。対岸の広島や山口、そしてその先にある大阪や東京との往来を支えていたのは船だったのである。
さらにいえば、三津浜港の眼前には忽那諸島が広がる。戦国時代までは忽那水軍の拠点であった島々であり、長らく海上交通の要衝で、昭和に入っても農業や漁業などで栄えていた。この忽那諸島の人たちが船に乗って、買い物や楽しみを求めて三津浜港にやってくる。三津地区は、その需要を受け止める海上交通のターミナルだったのである。
急速な衰退の後に始まった静かな反転
昭和の高度経済成長期は、日本における一大人口移動の時代でもあった。豊かさを求めて多くの人たちが農村や漁村を離れ、都市へと向かった。島嶼部などでは早くから人口減が生じており、1960年代には2万5000人以上あった忽那諸島の人口は、2010年代には5000人を下回るようになる。これらの島々の需要を受け止めてきた三津地区の商業は、近隣のレジャーの場が時代の変化から取り残されていったことなども相まって、停滞を余儀なくされるようになった。
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