為替レートの決定権は実質的に中央銀行にある

なぜリフレ派だった私が、いまインフレ警戒派へと立場を転じたのか。この変化を説明するにあたり、イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズの「状況が変われば私は意見を変えます。あなたはどうなさいますか」という言葉ほど、現在の私の姿勢を支えてくれるものはない。経済は常に変化し、適切な政策判断もまた状況に応じて更新されるべきである。

アベノミクス以前、日本は長く続くデフレと雇用難に苦しんでいた。黒田東彦はるひこ前日本銀行総裁が断行した「異次元緩和」の最大の功績は、新たに約500万人の雇用を生み出したことにある。500万人という数字は想像しにくいが、東京ドームの収容人数の約100倍に相当する。

当時の日本は消費も投資も伸びず、企業が生産能力を持て余す「需要不足」が深刻であり、こうした大規模な金融緩和は合理的な政策対応だった。しかし現在、状況は反転している。有効求人倍率は1.2倍を長期間にわたって上回り、労働力のひっ迫はむしろ過度である。こうした状態で需要刺激を続けても、国民の利益にはつながりにくい。企業は採用難に直面し、生産の現場は慢性的な人手不足に苦しむだけである。

もちろん、インフレーションそのものは国民の生活に悪影響を及ぼす。しかし20世紀後半の経済学では、物価が少し上がる局面では企業の売り上げが伸びやすく、雇用も増えやすいという関係(フィリップス曲線)が注目された。そのため、適度なインフレのほうが経済活動の活性化に寄与するとの理解が広く共有され、2%前後のインフレ目標を設定する国が増えた。だがこれは、経済構造が安定し、賃金や人口動態に大きな歪みがないことが前提条件だ。いまの日本はその前提が揺らぎつつある。

ゼロ金利が長期間続いた結果、金融政策の力は弱まり、これを補う目的で導入されたのが「イールドカーブ・コントロール」(YCC)であった。短期金利の誘導目標に加え、長期金利まで一定の範囲に誘導する政策で、市場全体の金利構造を管理する仕組みである。

しかし、私は日本銀行からYCCの導入目的や出口設計について、納得できる説明を聞いたことがない。YCCは短期金利の操作に比べて政策意図が不透明になりやすく、副作用も大きい。だが、日銀はその出口を避け続けてきた。日銀が、政策の出口を恐れるようでは、「物価の番人」の役割ははたせない。

ここで、物価や為替についてのマクロ経済学の基本を確認しておきたい。現代の国際経済は「変動為替相場制」を前提としている。変動制の下では、金融政策のほうが財政政策よりも強い効果を持つ。金融政策とは中央銀行が金利や通貨量を調整する政策であり、財政政策とは政府が支出や増減税で需要に働きかける政策である。変動為替相場では、金融政策が為替レートを通じて即時に経済に影響を与えるため、その効果はより直接的である。各国が保有する資産、すなわちストック変数は短時間で急激に変動する。

一方、財政支出や減税などの財政政策は一定期間にどれだけ使うかというフローに作用するため、効果は緩やかだ。財務省が為替介入の法的権限を持つため、介入で為替を動かせるように誤解されがちだが、不胎化介入(通貨量を変えない介入)の効果はわずかである。変動制の下では、為替レートの実質的決定権を持つのは中央銀行で、貨幣政策と金利政策の方向性こそが最も重要である。

いま米国の政策金利は約4%、日本は0.5%である。金利差は明白で、投資家は低金利の円を借り、高金利のドルで運用する「キャリートレード」を行う。これが円安圧力を強める。金利差が存在する限り、円安は自然な帰結となる。

さらに、合理的期待形成を前提としたアメリカの経済学者ハリー・ジョンソンらの国際金融理論では、為替レートは両国の通貨建資産を投資家がどのように保有したいかという「資産選択」の結果と考えられる。金利が高く利回りが期待できる通貨は買われ、低金利で供給量が増えている通貨は売られる。日本がゼロ金利と大規模緩和を続ける一方、米国が急速に金利を引き上げた局面では、ドルが選好され、円が売られるのは自然な流れである。YCC下では短期金利が固定され、通貨量も膨張していたため、円安を抑える手段はほとんど残っていなかった。植田和男日銀総裁がこのことを理解していないはずはない。

(写真=時事通信フォト)

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