【玄侑】ええ。それで面白いのが、相馬や南相馬に造ることになった防潮堤の高さが7~8メートルなんです。住民が過信して逃げないほどのものを造ってはいけないという教訓と、何も造らないわけにもいかないという狭間から出てきた高さでしょうね。私はその中途半端さは悪くないと思ってるんですよ。
【山田】放射能の問題も、1年前はベクレルもシーベルトもほとんどの人が知らなかったでしょう。ところが、いまは原発と放射能の情報が事細かく新聞に載る時代になりました。
【玄侑】世の中の見え方がまるっきり変わってしまいましたからね。新しい落ち着きどころをみんなが探してる状態だと思います。
【山田】被害が何十年後に出るかもわからないと言われては、急に手に余る重荷を預けられた思いです。
【玄侑】放射能への態度は信仰みたいなものだと思います。大まかに分けると、片方は放射線量はゼロに近いほどいいと考える人たち。もう片方は、地球ができたときから徐々に放射線量は減ってきていて、世界平均がいま年間2.4ミリシーベルト、日本は1.4ミリシーベルトですから、多少増えても問題ないと考える人たちですね。いずれにせよ、確実な根拠がない状態で、こうに違いない、いやそんなことはないと、2つの信仰が争っている状況ですよね。
【山田】これだけ科学が発達しても、どっちを選んでいいのか誰にもわからないのだから、途方に暮れますね。
【玄侑】データがない範疇には科学は介入できません。多くの人たちの心の中で、両方の気持ちがせめぎ合っているんじゃないでしょうか。
【山田】まあ、結論はあんまり性急に出さないほうがいいのでしょうね。「曖昧さに耐えることが、イギリス紳士の資格だ」となにかで読みましたけど。
【玄侑】いい言葉ですね。
【山田】どこまで曖昧さに耐えていけるかが、政治家の資質を問うときの条件だというんです。我慢できず戦争に踏み切ったりしないで、いつまでも曖昧なまま何とか凌いでいくほうがいいという価値観なんでしょう。
【玄侑】なるほど。TPPなんかもずっと曖昧にしておけばいいですね。