高度成長期から現在まで、日本人の暮らしの物語を紡いできた脚本家が、いま、被災地の僧侶と語り合った言葉とは。11年10月下旬、福島第一原発から45キロの小さな町・三春へ。

どこまで曖昧さに耐えていけるか

臨済宗僧侶、小説家 
玄侑宗久氏

【玄侑】前回(http://president.jp/articles/-/10558)、「全能感」のお話がありましたけれども、仏教っていろんな仏像を作りましたよね。もともとはお釈迦様が持っていた能力を、薬師如来や文殊菩薩などに分担させていった。その背景には、全能感を否定したいっていうのがあると思うんですね。一方で、比叡山から各宗派が下りていって、鎌倉新仏教ができていきますけれども、あれも同じ流れだと思うんですよ。あまりにも総合的な天台仏教に対して、「南無阿弥陀仏だけでいい」「南無妙法蓮華経だけでいい」、あるいは「坐禅だけでいい」とか、限定していきました。800万の神という基本ソフトがあって、仏教もそのソフトの上で稼働したということかもしれませんが、きわめて日本的な気がします。

【山田】そういえば、お地蔵様というのもあちこちにありますね。

【玄侑】仏教圏でもこんなにお地蔵さんが発達しちゃったのは日本だけでしょう。お地蔵さんというのは、境界線上というか、秩序と混沌の間にいる存在なんだと思います。たぶん日本人はそこが好きなんですね。何もかもを決まりにしてしまうのはいやで、混沌のフロンティアにいながら、いまを考えるというようなところが。

脚本家・作家 
山田 太一氏

【山田】自然災害への態度もきっと日本人は独特なんでしょうね。

【玄侑】やっぱり自然に対抗して勝とうと思わないのが日本人なんですね。勝てない相手だからこそ、神として祀ったわけです。ところが、復興構想会議に参加すると、建築家や都市計画の立場の方から、20メートルの防潮堤を造りましょうというような案も出てきます。でも、それは恵みを与えてくれる海に対する態度ではない。自然を敵と見て、それを制しようとするキリスト教圏の発想が知らぬ間に流れ込んでしまっているんですね。

【山田】ただ、いまから近代化の流れをストップして、「なるようにしかならない。いざとなったら逃げましょう」というわけにもいかないでしょうし、そこらへんは「ほど」の問題だと思いますが。