妻のセツ「人が皆、洋妾、洋妾ということが一番辛かった」
法的な手続きの有無以前に、二人は実質的な夫婦として生活していた。にもかかわらず、地元紙はわざわざ「愛妾」という表現を選んでいる。
八雲研究の資料を紹介する広瀬朝光「ラフカヂオ・ヘルン研究資料-1-「山陰新聞」の記事をめぐって」(『山陰文化研究紀要』15人文・社会科学編)では、資料解説においてこう記している。
当時の代表的な言論機関である『山陰新聞』でさえ小泉セツを愛妾と呼んで憚らないのであるから、一般の人々がどのような目で見ていたのか、大体察しもつこうというものである。少なくとも松江の人々は小泉セツをヘルンの妻とは考えておらず、むしろ洋妾のように考えていたと思う。
では、実際にセツ自身はこうした周囲の視線をどう受け止めていたのだろうか。この点について長谷川洋二『小泉八雲の妻』(松江今井書店 1988年)には興味深い記述がある。
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