異例の「三笠宮寛仁親王妃家」創設
令和7(2025)年9月30日、皇室経済会議が約7年ぶりに開かれ、彬子女王殿下が三笠宮家の新しい当主になられることと、その母君の信子妃殿下が「三笠宮寛仁親王妃家」として独立の生計を営まれることが決まった。
筆者はこの報道に接した際、まず次のように考えた。本来宮号は宮家当主のためのものであるから、彬子女王殿下が三笠宮家を継承されたのならば、他の皇族が「三笠宮」を冠することは適当ではない。それゆえに、「三笠宮寛仁親王妃家」というのはマスメディアによる通称であろう――と。
しかし、どうやらそうではないらしい。伝え聞いた話によれば、妃殿下が宮号を冠することについて疑問を抱いた宮内庁担当記者に対して、宮内庁はこんな説明をしたという。
「慣例として宮号を賜った皇族の妃や、直系のお子様やその妃が宮号を名乗れることになっており、寛仁親王の妃という位置づけ自体は今後も変わらないので三笠宮を名乗ることに問題はありません」
確かに、皇族方は学生生活中などに、父祖の宮号を名字のごとくお用いになることがあるが、それはあくまでも便宜上のものにすぎない。特に三笠宮家の場合は、故寛仁親王が「私は三笠宮ではない」とたびたび苦言を呈していらっしゃったのである。
それだけに、宮内庁が「三笠宮寛仁親王妃家」を正式採用したというのは、なかなか信じがたいものがある。筆者のみならず、皇室ジャーナリストの山下晋司氏も「違和感がある」と述べているから、同様の感想を抱いた者はけっして少なくないはずだ。

