孫正義が筆者に打ち明けたこと
この親にしてこの子あり。
ある日の夜、息子(正義)は父・三憲と車の後部座席に並んで座っていた。父の懐かしい匂いがした。車の窓ガラスに映った父の横顔に驚いた。俺もだんだん親父に似てきた。そう思ったのだろう。息子の口元が緩んだ。
かつて孫正義は私にこう打ち明けたことがある。
「今まで大概、世界中のいろんな財界、政界の大物に会いましたよ。でも、親父は、ほんとに、一番尊敬する。今でもやっぱり、そう思う。一番だ」
2024(令和6)年6月、株主総会で、あなたが尊敬している人物は誰か、と問われて、ソフトバンクグループ代表の孫正義は何人もの人物を挙げた。
「僕がまだ19歳の学生の時から可愛がってくださった、シャープの佐々木正元副社長、この方は本当に恩人として、心から尊敬しています。また、マクドナルドの藤田田さん、僕が16歳の時に会いました。尊敬しています。スティーブ・ジョブズ、彼には泣くほど感激したということで、尊敬していますし、OpenAIのサム・アルトマンも僕より随分若いですが、心から尊敬しています。イーロン・マスクもすごいですよね。ちょっとハチャメチャなところはありますが、あの革新性はすごいと思います。DeepMindのデミス・ハサビス、彼も技術的に天才ですね。というように、一人に絞るわけにはいかないのですが。ビル・ゲイツもすごく尊敬していますよ」
「僕は一・五代目だ」
しかし、父・三憲の名は公の場で口にすることはなかった。特別な存在なのだ。
孫が父を誰よりも尊敬するのには明確な理由がある。
「集中力や負けじ魂です。世界中の誰にも負けない」
1936(昭和11)年、孫三憲は在日韓国人二世として生まれた。
ちなみに、その年の2月26日には陸軍将校兵ら約1500人が陸軍省・参謀本部・警視庁などを占拠し、首相官邸や重臣私邸などを襲撃した「二・二六事件」が起きている。
三憲は貧しい家庭を助けるために、中学を卒業するとすぐ一家の大黒柱として働き始めた。自らの力で道を拓いてきたのである。
廃品回収業で、毎日何十キロもの道をリヤカーをひいて生計を立てる母を助け、三憲はひとり立ちすると焼酎の行商でビジネスを軌道に乗せた。30代前半で両親に立派な家を建ててプレゼントし、やがてパチンコ店を兄弟で100軒あまり経営するほど成功を収めた。
その後も独自の経営モデルで幅広く事業を展開してきた。
まさに元祖「アントレプレナー(起業家)」といっていい。
文字通り「裸一貫」で事業を起こし、4人の息子を育て上げた。
孫正義は自らを形容する。
「僕は一・五代目だ」

