高齢になっても元気な人はどんな生活を送っているのか。現役で活躍する90歳の作家・阿刀田高さんは「外食や食事を宅配してくれるサービスもあるが、下手くそでも自前で料理をするのが好ましい」という――。

※本稿は、阿刀田高『90歳、男のひとり暮らし』(新潮社)の一部を抜粋・再編集したものです。

トーストした小麦パンの上にバター
写真=iStock.com/Peter Blottman Photography
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90歳、こんなに長生きするとは……

いつのまにか90歳になってしまった。こんなに長生きするとは思っていなかった。頑健な身体ではなかった。

20歳で肺結核を発症し、1年半の療養生活を送った。10歳年上の姉を同じ病で亡くしている。次第に衰えていく姿をつぶさに見て知っている。往時はしげく命にかかわる病気だった。

──僕も死ぬのかな──

少しく不安を抱いたのは本当だった。なんとか命を長らえたのは、お尻に184本打ったストレプトマイシンその他の薬品のおかげだろう。生涯、医療を信ずる立場である。

16歳までは戦中戦後の苦しい時期であったが、それなりに豊かな家庭で穏やかに、無邪気に育てられた。長じてからは明るく苦労知らずの人柄に見えたらしい。それは、この幼少年期の生活のせいだろう。苦労は大人になってからでよろしいのだ。

ところが16歳の秋、父が死去、肺結核のあと母も他界し、兄姉はあったが、大学の後半からは独りの生活を余儀なくされた。経済面も独力で、奨学金とアルバイトでまかなった。天城越えをやったり、磐梯山に登ったり、楽しい思い出はあるけれど、

──あの時の費用、どう工面したっけな──

この思案がつきまとう。滞納した最後の授業料は友人からの借金でまかなったはずだ。その彼も、

──死んじまったなあ──

懐かしさを越える確かな友情だった。

コンビニがない時代の食生活

既往症を持つ身には就職も苦しかったが、国立図書館に職をえたのは好運だった。けれど公務員の給料はあまり高くない。雑文を書いたりして不足を少々補った。

住まいは三帖ひとまのアパート、ガス台が一つだけあった。楽しみは土曜日の半ドン(正午までの勤務)でまず近所の銭湯へ行く。帰りにワン・カップの酒となにかしら惣菜を買う。

電気釜と鍋は持っていた。飲んで食べ、そして借り出してきた本を読む。これは図書館員にとってはより取り見取り、松本清張が傑作を次々に上梓していたから、片っぱしから読みける。日曜日はその続き。「暗いな」と言われそうだが、充分に楽しかった。

独り身だから洗濯、掃除、炊事は自分でやらなければいけない。掃除は三帖間は“なし”に等しかったし、洗濯もそこそこ、食事は外食が多かったが、自分でもなんとか作った。