提灯奉迎でかかった虹

初日の夜は、ご一家がお泊まりになるホテルの近くに多くの人たちが集まり、白い提灯を振って歓迎の気持ちを表した。提灯は5500個も用意されたという。

多くの人が集まったために、予定されていた集合場所から人があふれ、他の場所から提灯を振る人たちも大勢いた。

日が暮れる前に提灯奉迎のために集まった人々は、ちょうどその時刻に、お泊りのホテル近くの空に虹がかかるのを目撃した。その光景に神秘なものを感じたようだ。

翌日は「恵の丘長崎原爆ホーム」を訪れられた。ご一家から丁寧にお声をかけていただいた入所者の人たちは、「本当にうれしく思います。感動しました。涙が出ます」「本当に幸せです」「一生の宝物です。私にとっては」「元気が出ました」などと感想を述べていた。

慰霊の旅はここまでだったので、先に述べたように、敬宮殿下はこの後、東京に戻られている。

被爆者養護施設「恵の丘長崎原爆ホーム」を訪れ、入所者と懇談される天皇、皇后両陛下と長女愛子さま
写真=時事通信フォト
被爆者養護施設「恵の丘長崎原爆ホーム」を訪れ、入所者と懇談される天皇、皇后両陛下と長女愛子さま。2025年9月13日午前、長崎市

敗戦後の昭和天皇の長崎訪問

昭和天皇は敗戦後、さまざまな不便や困難が山積みの中を、戦争に傷つき疲れた国民を励まし慰めるために、全国各地をめぐられた。その総行程は3万3000キロ、総日数165日、お出ましの場所は1411カ所にも達した。

この全国巡幸の一環として、原爆が投下されてからまだ間もない長崎を訪れておられる。昭和24年(1949年)5月24日午後から28日午前まで、現地に滞在された。

長崎への原爆投下では、何の罪もない7万4000人近くの人たちの命が、奪われた。広島・長崎への原爆投下に対しては、当時からアメリカ国内でも批判があった(グルー国務長官代理など)。

日本に対して「無条件降伏」などという定義困難な要求を掲げ続けるのは止めて、現在の皇室のもとでの立憲君主制の維持を約束していれば、もっと早く戦争が終結したはずで、原爆の使用などもともと必要なかった、と。

長崎の爆心地を昭和天皇が訪れられたのは5月27日。

そこには白い記念塔が建てられていた。近くにはアメのように曲がった鉄骨が赤さびて立っている。遠く浦上天主堂の被爆の跡も見える。

昭和天皇がお出ましになった浦上球場の奉迎場には、約5万人の大群衆が集まっていた。その大群衆による「君が代」の合唱の後、昭和天皇はマイクの前に立たれた。