文化人にして幕臣、大田南畝とは何者か?
大河ドラマ「べらぼう」において、江戸随一の文化人、天明期の狂歌のスター、大田南畝(別名・蜀山人、狂歌での名・四方赤良)は俳優の桐谷健太さんが演じています。明るく、そしてひょうきんに南畝を演じている桐谷さんですが、大田南畝とは一体、どのような人物だったのでしょうか。南畝(通称は直次郎)が生まれたのは寛延2年(1749)のこと。「べらぼう」の主人公・蔦屋重三郎の生誕が寛延3年(1750)とされていますので、南畝が重三郎より1歳年上ということになります。
南畝は下級武士(幕府の御徒士。家禄は70俵5人扶持。現在で言えば年収約300万円ていどか)である大田正智の長男として、江戸牛込仲御徒町で生まれました。その母は利世と言う幕臣の娘です。南畝の父は幕臣ではありましたが、お目見え以下の御家人であり、微禄で低所得者層。南畝には姉2人に弟1人がいましたので、一家が食べていくのが精一杯でした。南畝が家督を20歳の頃に継いだ時も家には借金があったような状態だったのです。
下級武士の家から学問での立身出世を目指す
生活が苦しい大田家。その苦境を脱するには学問しかありませんでした。南畝の両親は我が息子に学問させて出世させようとしたのです。南畝の父・正智は「平凡な生涯を送った男」と評されているように出世したわけでもなく、学問に秀でていたわけではありませんでした(20歳の頃に将軍上覧の水泳大会にて褒美の時服を賜ったていど)。
一方の母・利世はなかなかに賢明で積極的な女性であったようで、自ら南畝の師匠を選んでいます。南畝が8歳の時に多賀谷常安という後に医者になる男に漢文の素読を習わせたのです。常安の次に南畝が就くことになる師匠(内山賀邸。常安の師)も一説によると、母が選んだものだと言います。利世は今風に言えば「教育ママ」だったのです。教育ママもしくは両親の「教育虐待」により人生や精神を狂わされてしまう悲劇が昨今問題となっていますが、南畝は幸いにもそうしたことにはなりませんでした。

