聖書はなぜ、人を赦せと説くのか

上司が自分のことを正当に評価してくれない。部下が指示どおり動かず、注意をすると言い訳ばかりする。

仕事をしていると、こういうことは本当によくあります。しかし、それは誰が悪いのかというと、そう思うあなた自身が悪いのです。上司はいつも部下のことを愛情のこもった目で見てくれているはずだとか、部下は必ず上司の命令に従うべきだとか、誰がそんなことを決めたのでしょうか。

人間というのは約束を守らなかったり、裏切ったりするものなのです。自分は違うといい張る人もいるかもしれませんが、私はそう思っています。それは、自分のなかにもそういう心があることを知っているからです。だからこそ、聖書は人を赦せと説くのです。

「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人は罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」(ルカによる福音書 6章37節)

道に1万円札が落ちていたとしましょう。私だって周囲を見回し、誰も見ていないとわかれば瞬間的に、拾ってそのまま懐に入れてしまおうかなという気になります。でも、それをしないのは、やっぱりネコババするより届けたほうがすっきりする、それに神様の目を誤魔化すのは無理だと思い直すからです。

普段はどんなに善人でも極限の状態に置かれれば、盗みを働いたって不思議ではありません。貧困の定義というものを私はアフリカでの体験からつくったのですが、それは今晩食べるものがないということです。そして、そうなったとき人間がとる行動は3つしかありません。1つ目は、水を飲んで寝てしまう。2つ目は、物乞いをする。3つ目は、盗む。