2025年8月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3をお送りします。日本史部門の第1位は――。
▼第1位 なぜ「絶対に勝てない戦争」を始めたのか…山本五十六が反対を押し切って真珠湾攻撃に挑んだ"意外な理由"
▼第2位 「大奥=将軍のためのハーレム」ではなかった…江戸城の最深部にいた数百人の女性との「夜の営み」の意外な実態
▼第3位 裸同然の女性兵士がきて、下着をポイ…戦後ビルマに抑留された日本兵が耐え忍んだ英軍による人間以下の扱い
※本稿は、戸高一成『日本海軍 失敗の本質』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
アメリカは明治末期から“仮想敵”だった
そもそも日本が「アメリカとの戦争」を考えたのは、日露戦争後の明治40年(1907)に策定された「帝国国防方針」からである。このときに日本はアメリカを「仮想敵」とした。そして、アメリカと戦うとすれば、その中心となるのは海軍であった。
ただし、誤解してはならないのは、「アメリカ=敵」ではなく、あくまで「仮想」敵ということだ。仮想敵国を設定することで、それに対する防衛力を検討し、国防の方針を立てる。そして、予算を組む際の基準にする。極端なことをいうと、予算獲得のために仮想敵が必要になるのであり、そのために仮想敵を置いただけ、といっても過言ではない。
したがって、当初の海軍の対米意識は、アメリカ海軍を「必ず戦う相手」としていたわけではなかった。しかし、仮想敵としている以上、海軍兵学校では「いずれ日本はアメリカと戦う」という前提で教育がなされ、それが大正時代の中頃には、「お前たちは太平洋でアメリカと戦う」というストレートなものになった。
そのため、海軍兵学校50期(大正11年・1922年卒)前後の人たちは皆、「俺たちはいずれ太平洋でアメリカと戦う」と思いこんでいたという。これは「仮想敵という設定が、日米衝突の根源に変質してしまった」と言えなくもないが、海軍内で「本当にアメリカとぶつかるかもしれない」と考えられるようになったのは、昭和15年(1940)に締結された日独伊三国同盟の前後からである。

