オジサンから現在のアンパンマンになるまで
のぶ(今田美桜)「ううん、私はいつかアンパンマンは高い空を飛ぶと思うちゅう。高い空をどこまでも……。そのときがきたら、世界中の人が認めてくれると思う。私、あきらめんきに」
NHK連続テレビ小説「あんぱん」第24週118話より
国民的キャラクターのアンパンマンは、やなせたかしが世に出した当初、愛らしい3等身のアンパンの顔をもつヒーローではなかった。ちょっとメタボで、そのおなかからアンパンを取り出して配る人間のオジサンだった。
やなせ夫妻をモデルにした朝ドラ「あんぱん」でも、その初期「アンパンマン」からTVアニメや映画『それいけ!アンパンマン』でおなじみの姿になるまでの過程を描いている。嵩(北村匠海)が大人向けの雑誌に「アンパンマン」を発表したものの、特に評判にはならず、妻のぶ(今田美桜)はその後、3年間、根気強く子どもたちへの読み聞かせをして地道に普及を図っていた。作者の嵩だけでなく、のぶの「アンパンマン」への思い入れの深さが描かれた。
アニメ化で大ヒットしたのは69歳のとき
最初の発表から20年を経て1989年、「アンパンマン」がアニメ化され大ブレイクするまでのいきさつは、やなせたかしが自伝などに綴っている。「あんぱん」で描かれたとおり、「手のひらを太陽に」の作詞、長編アニメ映画『千夜一夜物語』のキャラクターデザイン、監督した短編アニメ映画『やさしいライオン』などで成功を収めるも、本業の漫画家としては代表作が出せないまま50代まできて、ようやく出せた絵本だった。
TVアニメが始まると、原作絵本も飛ぶように売れ、やなせは71歳で日本漫画家協会大賞を受賞。元東京都知事で小説家、「いじわるばあさん」の演者でもある青島幸男から「やなせさん、遅すぎたね」と言われたという。
「あんぱん」は、やなせたかしとその妻・暢(のぶ)をモデルに、嵩・のぶ夫婦が支えあう姿を描いてきたが、ドラマはフィクションだと断り書きしているとおり、すべての展開が史実に即しているわけではない。
2013年まで生き、94歳の天寿をまっとうしたやなせはいくつかの自伝、エッセイを遺しているが、その中でも遺言のつもりで書いたという『アンパンマンの遺書』(1995年、岩波現代文庫)が、最もストレートに人生の喜怒哀楽について語っている。戦前から平成までの時代を駆け抜けた数々のエピソードは、「あんぱん」では描かれなかったことも多い。

