田原総一朗氏

【田原】生きることと会社経営が重なっているわけですか。具体的に起業しようと思ったのは、いつですか。

【村上】高校3年のときです。文化祭で副委員長をやって、1万5000人が来るイベントを仕切らせてもらったんです。ステージで何をやるかとか、各教室をどう割り振るかとか、何から何までやって、それが使われる喜びというものを感じました。これを早くやるには、会社に勤めて社長を目指すより、起業するほうがいいと考えました。それで高3のころには友人に声をかけて、具体的なアクションを始めていました。

【田原】なぜアルバイトの求人情報サイトだったんですか。

【村上】不便や問題を解決するのがビジネスの基本です。身のまわりで不便や問題がないかと見続けていたら、アルバイト探しの不便さに気づきました。

【田原】バイトする必要があったの?

【村上】してましたよ。でも、町中にはバイト募集の貼り紙がたくさん貼ってあるのに、ネットで検索すると見当たらない。結局、隣町まで自転車で探しにいったりして、これは不便だなと。

【田原】村上さんが高校生のときは、もうインターネットが普及していた?

【村上】はい。にもかかわらずネット上で求人が見つかりにくいのは、募集広告の費用のせいでした。相場は1枠10万円。これを解決する方法はないかと考えたとき、掲載費用無料というビジネスモデルを思いつきました。