正室は30歳で将軍と夜を共にしなくなる

大奥といえば「男子禁制」の「女の園」と思われているが、じつは広敷向には300人程度の男性役人が詰めて、警備や事務に当たっていた。しかし、彼らも広敷御錠口から先には一歩も入ることが許されなかった。ただし、将軍や御台所の主治医にあたる奥医師だけはその先に入ることができ、彼らのための便所もあった。

このように大奥が男性の出入りを厳しく制限していたのは、将軍の血筋を正しく伝えるためだった。DNA鑑定などできない当時、将軍の子供が本当に将軍の血を引いているかどうか確認する術はなかった。だから、将軍以外の男性が奥女中と関係をもつことを徹底的に防ぐ必要があったのである。

御殿向のうち「御座所ござしょ」と呼ばれたのが御台所の御殿で、将軍が御成りのときは、御鈴廊下の先の「御小座敷」が寝床になった。御台所は、薩摩藩の島津重豪しげひでの娘だった11代将軍家斉夫人を除くと、3代将軍家光以来、京都の宮家や公家の出身だった。