優秀な同期にどう立ち向かうか?
さて、ここで問題です。
同期入社組の中に自分より優秀そうな人が多く、その人たちと戦っていける自信がありません。そのような状況に置かれたとき、あなたならAとBのどちらの道を選びますか?
A:無理に同期と競おうとせず真面目にコツコツと地道な努力を積み重ねる。
B:やってみなければわからないのだから「当たって砕けろ」の精神で突き進む。
どちらとも言いにくいが、どちらかと言えばAかな、Bかな、と自分の考えにより近いほうを選んでも良いでしょう。
自分の性格や適性もありますから、Aプラン、Bプラン、どちらを選んでもいいのですが、どちらを選ぶにせよ、このままでは戦略性が足りません。今回も孫子の兵法でどうするべきか考えてみましょう。
無人の地を行く
自分の人生にせよ、仕事にせよ、ただ真面目にコツコツと頑張れば良いわけでもないし、気合と根性でぶつかっていけば難題もうまく解決するということもありません。真面目も、コツコツも、気合も、根性も、どれも大切であり、それが悪いわけではありません。大切なことは、それをどこで発揮するか、言い換えると、どこで戦うかをまず考えるということです。
孫子は、「千里を行きて労せざる者は、無人の地を行けばなり。攻めて必ず取る者は、其の守らざる所を攻むればなり。守りて必ず固き者は、其の攻めざる所を守ればなり。」(虚実篇)と教えてくれています。
千里もの長距離を遠征しても疲労が少ないのは、敵のいないところを進むからである。攻撃すれば必ず奪取できるのは、敵が防御していないところを攻めるからである。守る際に堅固であるのは、相手が攻めてこないところを守っているからであるというのです。
敵がいない道を進むのであれば、たとえ千里もの道のりであったとしても、途中で戦う必要もなく、自分のペースで進んでいくことができます。当たり前ですね。
敵を攻めたときにうまくいくのは、敵が防御していないところを攻めるからであり、守るときにうまくいくのは、敵が攻めてこないところを守っているからだというのも、当たり前ですね。
しかし「そんなの当たり前じゃないか」と言うなかれ。その当たり前にうまくいく状況をつくり出しているということに意味があるのです。
同期やライバルの中に優秀そうな人がいたら、勝てない、負けそうだと弱気になることもあるでしょうが、何をもって優秀だと考えているのか、どういう面で優劣の差があると認識しているのかを冷静に考えるべきです。どんなに優秀な人でも、すべてのことに精通することはできないし、時間は有限かつ平等ですから、すべてのことに時間を費やすことはできません。その優秀な人が取り組まない分野や領域というものが必ずあるのです。
それが「無人の地」です。ほかの人が注力しない、後回しにする、場合によっては軽んじている分野を攻めるのです。もし本当に能力に差があるとすると、その優秀なライバルが同じことをやってきたら敵わないでしょう。あなたより余程うまくやり遂げるかもしれません。しかし、その人は優秀であるがゆえに、その分野や領域に時間を使わないのです。あなたはそこを守ります。攻めてこないところを守っているのだから、守りは堅いですね。
逆に言えば、その分野をほかの優秀な人は守備範囲にしていないのです。守っていないところを攻めるのだから、必ず勝てます。
人生にはいろいろな局面があり、ビジネスにもさまざまな課題や問題があります。地味だけど、ここが欠けるとうまくいかない、目立たないけど、これがないと完結しない、そんな分野や領域をあなたが押さえていれば、あなたは欠くことのできない存在になるのです。
人の優劣など安易に判断しないことです。仮に本当に優劣があったとしてもそれですべてが決まるわけではないのです。どこで戦うか、どの分野で勝負するか、どの領域を極めるかを戦略的に考えてみましょう。
何をやっても勝てないなら長期戦に持ち込む
「無人の地」の教えを知り、自分が注力すべき分野や領域を絞っても尚、ライバルにやられてしまう、とても敵わないと弱気になってしまう人に、さらに孫子の兵法を伝授しましょう。
現時点では、とても敵わない、何をやっても太刀打ちできない、相手が優秀すぎて何でもできてしまう、という場合であっても、20年後だとどうでしょう。今、ライバルとの間についている差も、これまでの20年程度の人生でついた差ではないでしょうか。たとえば、出身大学のレベルに差があるとしても、その差は生まれてから18年程度の間でついた差です。遺伝的な差はあるでしょうが、真面目にコツコツ勉強した人はそれなりの大学に行けるでしょうし、思うような大学に行けなかった人は、振り返ってみてどうですか? 勉強もせず遊んでばかりいたのでは? 趣味でもスポーツでも同じことです。向き不向きはあるでしょうが、趣味やスポーツでも差がつくのはそこに投入した時間の差が大きいのではないでしょうか。
孫子は、「戦いの地を知り、戦いの日を知らば、千里なるも戦うべし。」(虚実篇)と言っています。決戦の地がわかっていて、いつその決戦が行われるかがわかっているのであれば、千里もの長距離遠征をしてもOKだと言うのです。
千里もの遠征をするのは戦いに不利です。「無人の地」を進むのであれば疲労が少ないというだけであって、あまり良い戦い方ではありません。これは長期戦と考えても同じことです。短期決戦のほうが被害も少ないし、戦費も少なくて済むから長期戦は避けたいのです。長距離遠征も長期戦も本来は避けるべきだけれども、「戦いの地を知り、戦いの日を知らば」やって良し。要するに、主導権を握って、こちらの思うようなストーリーで戦えるのであれば長距離遠征も長期戦も良しとしようというのです。
そこで、今、どうしてもライバルに勝てない、同期に対しても気後れしてしまう、という人は、20年後にどこで戦うかを決め、そこで「必ず勝つ」と決意しましょう。
「無人の地」を見つけ、2~3年で自分なりの居場所、存在価値を示せるなら、そちらのほうが良いわけですが、それが無理なら仕方ありません。長期戦に持ち込みましょう。
58400時間の努力を積み重ねる
常に、そのライバルの少ない、敵が攻めてこない「無人の地」で自分の力を高めることを考えましょう。たとえば1日8時間、ずっとそのことを意識し、必要なら勉強や練習などもしたと考えてください。平日と土日で、何時間とか細かいことは自分で考えてください。ここでは、ざっくりと1日8時間、20年間その「無人の地」の分野や領域に注力したとします。総時間は、8×365(うるう年は考慮せず)×20=58,400時間。
一般に、あるテーマに対して1万時間を投入したら専門家、スペシャリストとして認められると言われたりしますが、その5倍以上。ライバルがどんなに優秀な人であっても、5万時間以上の努力を積み重ねてきたあなたに、この分野では決して勝てません。
「365日は無理だ」「平日は仕事が忙しいし、土日は家族サービスがあるし」などと、今、すでに言い訳を考えているようでは、負け確定でしょうね。1日8時間といっても、8時間ずっと机についてそのことを勉強するとか、その練習を8時間ずっと続けるということではありません。常に頭の片隅に置いておき、仕事をしているときも、遊んでいるときも、家族団らんしているときも、何かあればアンテナに引っかかるようにしておくという程度で良いでしょう。もちろんそれで気になったことはちゃんと調べたり、練習したりする必要はありますが、58400時間の積み重ねは大きな価値を生みます。
「戦いの地を知り、戦いの日を知らば、千里なるも戦うべし。」今すぐには勝てなくても、20年後に決着をつけましょう。人生100年時代だと思えば、20年は5分の1に過ぎません。


