例えば、ある寒い冬の夜、外出する信長のために懐で草履を温めていたというエピソードもその巧みな戦略のひとつだ。「少しでも信長にいじられたくて、誰1人思いつきもしない突飛な行動にでた」(田中氏)。そして「サル」という人間としての尊厳が微塵もないあだ名を嫌がることよりも、直接信長にいじられることを喜んだのだ。
「大きなコネでもない限り、まずはいじられ上手にならなければ、大きく出世はできません。上司に引き上げてもらえるよう立ち回るのです。いじりキャラをきどって軽率なツッコミを入れたばかりに上司の逆鱗に触れては一大事。だから最初は、仕事でも雑談でも、ちょっとした機会に自分を売り込む。自分の得意不得意をネタにする。それによってパーソナルな接点ができたら、報告・連絡・相談という基本を徹底して心を開いて接する。仮に仕事が同僚よりやや劣っていても、上司が『あいつの分は俺がフォローしてやろう』と面倒を見てくれます」
一方、いじりキャラは出世に不要かと思いきや、さにあらず。平社員のときは「いじられキャラ」で評価されたとしても、中間管理職として部下を束ねるようになり、さらに役員、経営者と出世の階段を上るにしたがっていじり術の活用が必須となる、と田中氏は言う。
田中氏が想定するいじりキャラのイメージは、上杉謙信だ。正義感が強く情にも深かった謙信だが、田中氏はとりわけ家臣に対する行動に、組織を率いる人物ならではの「いじり技」を感じるという。
「謙信には部下の人心掌握のためのいじりエピソードがたくさんあります。家臣が派閥をつくり、内部抗争をはじめて足の引っ張り合いをしだしたとき、謙信は『信長や信玄なんかもう知らない。この世に飽きたので出家する』と言いだした。そしたら部下が大慌て。もう二度と争いを起こしません、と誓い合ったのです。じつは、後の研究で謙信は出家する気など当初からないことがわかっています」