経営層や現場レベルでは買収への期待が高まっていたなか、バイデン氏が民主党寄りの労働組合からの政治的圧力で否決を決めたとされる。USスチールのデービッド・バリット最高経営責任者は自社ウェブサイトで、「バイデン大統領は重要な経済・安全保障の同盟国である日本を侮辱し、アメリカの競争力を危険にさらした」と強く反発している。
日本製鉄は買収案の提示にあたり、米側の製鉄能力の確保にも配慮を示していた。AP通信によると、同社はインディアナ州ゲーリーとペンシルベニア州モンバレーの高炉設備に27億ドルを投資するだけでなく、今後10年間は米政府の承認なしに生産能力を削減しないことを約束していた。
こうした好条件の提示を受け、USスチールのモンバレー製鉄所労働者たちは、労働組合の反対方針にもかかわらず、買収を支持していたという。USスチールの工場で働く同労働組合支部のズガイ副委長は、AP通信の取材に対し、「(日本製鉄は)モンバレーに投資する意志を示してくれた。10年間はレイオフを行わないとも約束した。こんな約束は、他のどの企業からも得られないだろう」と述べ、またとない機会を逃したと失望感を示す。
「日本製鉄はルール違反の常習者だ」労組会長の主張
こうした従業員らの買収への期待とは裏腹に、組合側は強い反対姿勢を示していた。日本製鉄の約束は信頼に足りないというのが組合側の主張だ。全米鉄鋼労働組合のデビッド・マッコール会長は、米公共放送PBSの取材に対し、「日本製鉄は、常習的に貿易ルールの違反者となっていることが証明されている。USスチールの買収を許せば、内部から我々の貿易システムを不安定化させる機会を与え、我々の国家安全保障とインフラ整備のニーズを損なうことになる」と批判している。
一方、日本製鉄は、中国企業が支配的な製鉄業界において、アメリカの鉄鋼業の競争力強化を支援する最適なパートナーになれると主張。さらに、高炉と競合する鉄鋼製品の中間材料である鉄鋼スラブの輸入も行わないと表明していた。英BBCによると、新日鉄とUSスチールは、買収計画が「アメリカの国家安全保障を脅かすのではなく、強化するもの」であると強調。中国からの脅威に対してアメリカの国内鉄鋼業を強化すると主張し、「すべての関係者と誠実に取り組んできた」と述べている。買収計画がこのまま頓挫すれば、最大の利益を得るのは中国製鉄業界であるとの見方がある。
日本製鉄はまた、地域や労働者の支持を得るためのPR活動を積極的に展開してきた。USスチールの従業員に対し、買収完了時の特別手当として1人当たり5000ドル(約79万円)、総額約1億ドル(約160億円)のボーナスを提示していた。こうした取り組みは一定の成果を上げており、PBSによると、ペンシルベニア州とインディアナ州の高炉立地地域では、市長や一部の鉄鋼労働者組合員の間で買収を支持する声が徐々に広がっていたという。
一方、地元紙のピッツバーグ・ポスト=ガゼット紙によると、現金のばらまきを批判する声もあったようだ。全米製鉄労働組合のマッコール委員長は、日本製鉄が提示した従業員への5000ドルの支払いを「単なる賄賂だ」と批判。これに対し、クレアトンの保守技術者アンディ・マッセイ氏は「それは賄賂ではなく、私たちの未来への投資だ」と反論するなど、意見が対立していた。