安易に皇位継承ルールを変更すべきでない

女帝がなくなったのは、摂関として君臨したい藤原氏にとって不都合だからだと島田氏は指摘する。だが、NHK大河ドラマ『光る君へ』で、三条天皇と藤原道長の娘・妍子には娘・禎子しかおらず、天皇と道長のあいだで対立が激化したと描かれていたように、もし女帝でもいいなら道長にとってむしろ好都合だった。

また、皇后を藤原氏と皇族で独占したというが、平安時代以降、皇后制度は一帝二后なども出現して混乱し、鎌倉時代からは皇后はいなくなった。正妻的な女性として、高倉天皇の平徳子、後光厳天皇の紀仲子、後水尾天皇の徳川和子などもいた。

明治の天皇制は、ヨーロッパの制度を参考にしながら古代の制度を再構築したものであり、生前退位をやめたり、皇后とか摂政の制度を整備したりして、幼少や病気の天皇でも問題なくなったので、つなぎのための女帝も不要になった。

ともかく、皇位継承の安直なルール変更は、世界史でも内戦を引き起こしたり、国家の崩壊につながったりしてきた。もし、変更するなら、慎重に時間をかけて、大部分の国民の納得を得るべきだ。

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「愛子天皇」はもともと議論の対象外

そもそも、君主制のメリットは、前例踏襲で体制の安定を図ることだ。私は男系男子が未来永劫変わらない鉄則だとは考えていないが、従来の原則が維持できるのに変更するとか、維持する努力をしないのは、憲法改正などより危険なことだと思う。

女帝や女系天皇を認めるか、内閣に設けられた有識者会議(清家篤・元慶応義塾長座長)で議論されたのは、あくまで悠仁さまの次の継承者についてである。その詳細は、拙著『系図でたどる日本の皇族』(TJMOOK)で詳しく論じているが、ご退位についての法律には秋篠宮殿下を皇嗣に確定する条項を入れてある。

それは、次の世代では悠仁さまへの継承も意味するが、安定的な皇位継承のためには、悠仁さまに男子がいなかったときのことも考えようとしたのである。愛子さまを天皇にという議論は入る余地がなかった。

側室制度がないと男系男子継承の維持は不可能だと高森氏は仰るが、ヨーロッパ大陸主要国のサリカ法典では、男系男子に加え嫡出も鉄則で、フランス王家では10世紀の創立から現在の王位請求者ジャン4世まで維持されている。