虐待などのトラブルを起こしかねない「共感性の欠如」

まず子どもへの共感性の欠如を挙げたい。この共感性は、親が子どもの立場に立っていろんなことを感じたり考えたりすることができる、子どもの気持ちを理解できる、ということである。筆者がこれまでかかわったケースなどを振り返ると、思っていた以上にこの共感性が乏しい親が多い。

一般的に、われわれは子どもが生まれたら自然に子どもへの愛情が湧き出てくる、子どもとかかわっていく中で子どもも親の気持ちを理解していくようになり、互いの関係が親密になっていく、と言われる。しかし、妊娠や出産はしたものの、皆目愛情が湧かず、生まれてきた赤ちゃんは物体、しかも生ゴミでしかないという捉え方しかできない人も実際にはいる。

そんな親を冷血な人間、残虐な人格の持ち主などと批判するのは簡単であるが、よくよく見ていくと、情の問題というよりもそこに認知のあり方の問題が横たわっていることに意外と気がついていないことがある。

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ボロボロになったわが子の写真を見て笑う夫婦

【事例①:子どもの顔面を殴り、写真を撮影して部屋に貼った40代の父親】

Xさんは45歳の自営業を営む父親で、妻と10歳の男児、7歳の女児の4人暮らしであった。元来、Xさんは力で相手をねじ伏せ、言うことを聞かせようといった強引なところがあり、夫婦関係でも妻に暴力を振るうなどのDVもこれまで何度かあった。

ただ、2人の子どもにはそれなりの愛情をかけ、やや自分本位のやり方ではあったものの、休日は公園や遊園地に連れて行くなどもしていた。そのため、子どもも父親を嫌っていたわけではなく、親密に感じているところも見られた。

ただ、上の男児が小学校の高学年となると、しだいに自己主張が強くなって親の言うことに反発し、親に隠れて陰で自分のしたいことをする行動が出てきた。そのたびに母親とともにXさんは男児を厳しく叱りつけるのであった。

あるとき、Xさんは怒りにまかせて男児の顔面を数発殴って、もう二度と同じことを繰り返さないようにと、殴られて腫れている息子の顔面を写真に撮り、それを見せしめのように部屋に貼った。Xさんは自分が暴力を振るったことを棚に上げ、反省など微塵みじんもないことはもとより、殴られてボロボロになったわが子の顔があまりにもおかしいと、時々夫婦でその写真を見て笑いの材料にしていたのであった。

この話を聞いた人はなんて悲惨な状況だと思うに違いない。