「丸太ん棒を抱いているようだった」

また、発達障害の人の中には感覚の独特さを持っていることもしばしば見受けられる。その一つに感覚の過敏さが挙げられ、触られたり抱っこされたりすることをとても嫌がる子もいる。通常なら、優しくなでられたり触られたりするのが心地よいものであるが、その子にとってはそれが不快にしか感じられない。

そうなると、愛着の原点であるひっつく、くっつく、なつくといった「つく」という行為が安心感、安全感とはならずに、不快感や嫌悪感となってしまう。自閉スペクトラム症の子どもを持つ親がわが子を抱いても、「いつも丸太ん棒を抱いているようだった」と感想を述べられたりすることがあるが、まさにこのことなのである。

つまり、その子どもにとっては抱かれることが気持ちのよいものではなく、逆に身をこわばらせてしまい、親の方に身を預けない行動となる。本来なら愛着が形成される頃になると、子どもは親を安全で安心な基地とするため、首がすわる頃から1歳になるまでの間に親の方に身を預け、自ら抱かれやすくするものである。

しかし、それがうまくいかず、先の丸太ん棒のような状態になってしまう。こうなってしまうと、親側としてはわが子が自分に身を預けてくれない物足りなさや抱いても機嫌を取り戻してくれないもどかしさ、逆に泣くのがますます激しくなってしまうために育てにくさやかかわりにくささえも感じてしまう。

「他の子に比べてどうして…」という不安

発達障害のある子どもが親から虐待を受けるリスクとなるもう一つの要因は、定型発達の子どもと比べて、発達スピードが緩やかであることが挙げられる。

そのため、親はわが子の発達が他の子どもよりも遅れていると焦りや苛立ちを感じやすくなってしまう。それがだんだんエスカレートしていくと、そのことが気になって仕方なくなり、ゆとりを持った子育てがしにくくなっていく。

具体的なことで言えば、わが子に言葉がなかなか出てこなかったり、トイレット・トレーニングが円滑にいかずにいつまでもオムツをさせていたりするなどがある。そんなときに親として考えやすいことは、「他の子に比べてどうしてうちの子だけは……」と感じたり、「このまま発達が止まって、将来どんなふうになるのだろうか」と不安になったり、こうした状況が続けば悲愴感や絶望感さえも抱いてしまう。

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子どもが言葉を習得する背景には、親が指さしをしたモノ(仮に、指を指した先に自動車があれば、その自動車)に子どもが視線を向け、そして、親が子どもに対して発した言葉(この場合であれば、“ブゥーブゥー”という自動車を表す言葉)があるという共同注視(Joint Attention)が成立していなくてはならない。

通常なら、生後3カ月頃になると、親の視線を子どもも追うようになり、生後5〜6カ月頃になると子どもは自分が発する声で親の注意を引こうとし、生後9〜10カ月にもなると子どもは自分で指さし行動ができるようになる。このような発達をする中で、親の意図を汲み理解できるようになってくる。