どんなに注意しても手応えを感じにくい
しかし、自閉スペクトラム症の子どもの中には、親の視線を追わないし、ましてや親が指さしたモノに視線を持っていかないため、仮に親が発した言葉(この場合であれば、“ブゥーブゥー”)が何を指すのかわからず、言葉が覚えられなくなってしまう。
そうなると、親としては、子どもにどのように言葉を覚えさせればよいのか手応えが得にくくなり、いつまでも一語文が出てこないわが子の言葉の遅さに途方に暮れてしまう。また言葉の習得だけに限らず、さまざまなところで発達の遅れを感じさせられることもある。
例えば、注意欠如多動症の子どもの場合であれば、何度教えても同じ失敗を繰り返してしまう。学習したことが身につかないと言ってしまえばそれまでであるが、それはそもそも持っている注意がそれてしまうという特性の影響も大きい。それゆえに、「水は出しっぱなしにしてはいけません」と何度親が言っても、手を洗った後にいつも蛇口を閉めずに次のことをしてしまう、といったことになる。
そして、こんなことが一つや二つではなく、生活全般にあちこち起こってくると、親としてもたまったものではない。
発達速度が緩やかなことで、愛情を持てない場合も
生活訓練をしてもそれが身につかないという問題は、発達の中でも親を苦しめる大きな要因となる。
確かに、発達障害のある子どもは定型発達の子どもに比べて、発達のスピードは緩やかであるかもしれないが、発達をしないわけではない。発達障害の特性のゆえに、先にも取り上げたように親が指さしたモノに視線を向けなかったり、注意がそれて蛇口を閉めるという行動まで結びつかなかったりするが、特性が相当に重くない限り、年齢とともにできるようになってくる。
それらの学習の仕方が定型発達の場合と少し違うために、そのスピードは緩やかなものとなりはするが、それができないわけではない。しかし、親としては、「同じ年齢の他の子どもはもうとっくにそれができているのに、わが子はできない」とそこだけを過剰に意識してしまうため、育児のストレスを高めてしまう。
筆者が行った犯罪心理鑑定の事例の一つで、母親(被告人)がわが子を殺害した事件があった。
その子どもは4歳になっても一語文(例えば、“チョコレート”)しか話さず、二語文(例えば、“チョコレートほしい”)が言えなかった。1歳のときから、名前を呼んでも振り返らず、目と目が合うことも少なく、この子の姉の様子とは少し違うと感じていた。