一流であるからこそ、客に損をさせられない

専務執行役員 
山添 茂

電力・インフラ部門トップで専務執行役員を務める山添茂は次期社長レースの大本命と言われている。

よく酒を飲み、よく笑う山添は、若い社員の話にも一生懸命耳を傾ける。そして、自らの体験、経験を噛んで含めたわかりやすい言葉で、彼らに伝えていく。こうした機会を、山添は大切にしている。そして海外に出たことのない社員を見つけると、翌日、直属の部門長に言うのだ。

「彼(彼女)に、できるだけ早く海外を経験させてやってくれ」と。

フィリピン。この国は、丸紅にとって“戦略国”で、商社マン山添が育てられた場所でもある。丸紅が、フィリピンに初めて事務所を設立したのは、1908年。日本では西園寺公望首班の内閣が倒れ、桂太郎が第2次内閣を組閣していた頃で、明治新政府を打ち立てた元老たちが、政治を牛耳っていた時代だ。そして丸紅の電力部隊が、フィリピンに初めて発電所を設置したのは、1950年代だ。

その後、丸紅はフィリピンの発電所の改修工事を引き受けたが、84年の9月に当時20代後半だった山添は、その一員としてフィリピンの地を踏んでいる。80年代は、同国の独裁の象徴、フェルディナンド・マルコス政権に陰りが見え始めた頃だ。83年には、野党で大統領候補だったベニグノ・アキノがマニラ空港で衆人環視の中で暗殺されて、世界を震撼させた。山添が赴任した翌年2月には、マルコスはハワイへの亡命を余儀なくされ、国内は内乱状態となった。