シートやワイヤーハーネスはなんと手作り
車のシートは皮を探して手縫いで縫製した。ついでに端材を使って、バッグを作った。わたしは余った端材を使ってバッグを作ったことがレストアした人間たちの遊び心であり、余裕に思える。先人たちは「ユーザーに喜んでもらおう」と思って観音扉のクラウンを開発した。端材のバッグは観音扉を採用した中村健也の考えと同じだ。川岡たちは形を真似して作っただけではない。先人と同じ心持ちになることができた。
ワイヤーハーネスは現在の市販品を流用したのではなく、図面通りに手作りした。クラウンのエンブレムは名古屋と銀座に店を持つ150年の歴史を持つ老舗、安藤七宝店に依頼して作り直した。驚くことに当時、トヨタは安藤七宝店にクラウンだけでなく、トラックのエンブレムも発注していた。車にアート作品を付けてユーザーに届けていたのである。現在よりもよほど贅沢な車造りをしていた。
車のガラスはマニアから譲ってもらった昔の純正品だ。工場出荷状態である。現在のガラスを使うと、そこだけが浮き上がってしまうから当時のものを探した。
アンダーボディのフロアパネルは通常、プレス機で上下からプレスして成型する。ただ、初代クラウンのフロアパネルを一枚つくるのに、プレスの型を起こしたら、数千万円の費用がかかってしまう。そこで、インクリ成形(インクリメンタルフォーミング)という技術を適用した。
部品やタイヤも「純国産」にこだわったが…
インクリ成形とは下の型だけを作って、上からグリグリ押していって成形することをいう。量産ではなく、少数作るだけならインクリ成形で部品ができるし、早いし、またコストが安くなる。少数部品を作る際、インクリ成形を使うことができるとわかったこともまた収穫だ。
塗装はカチオン電着塗装にした。カチオン電着塗装とは水溶性塗料を溶かした槽に製品を浸漬させ、電気の力を使って塗膜を形成させること。現在の車はこうした塗装にしてあるが、当時はまだその技術がなかった。クラウンのレストアでは塗装に関しては最新技術を使ったのである。
ただ、量産ラインでは塗料プールに浸漬させてもらえなかった。それは万が一、プールのなかに錆が浮いたら、量産ラインの製品に影響が出るからだ。そこで量産ラインに影響を及ぼさないトヨタホームの鉄骨をカチオン電着塗装しているラインに持って行った。
問題はタイヤだった。本来、初代クラウンの純正はバイアスタイヤの6.4インチ。しかし、現在、国産タイヤではそのサイズは作っていなかった。アメリカのファイアストン、もしくはコッカーというメーカーではタイヤ自体は15インチ、立ちが6.4インチのタイヤを作っていたが、それを使うと「純国産乗用車を作る」趣旨からは外れてしまう。
そこでヨコハマタイヤが作っていたやや大きなサイズのタイヤを選んだ。ところが、取り付けた後、タイヤ表面に「MADE IN VIETNAM」の小さな刻印を発見する。
「残念ながら、そこまで見ることができなかった」(川岡)のだった。