歴史上、高齢女性が倒れるまで食事をつくり続けた先例はない

こうして見ると、80歳を過ぎた女性たちが、日常(「ケ」の日)の食事も、「ハレ」の日の食事もつくり続けるという現象は、「専業主婦」として多くの女性が生きることが可能になった現在の高齢世代になって初めて見られるようになったものにすぎない。

そういう意味では、現在の高齢女性が経験している食事づくりの困難は、歴史上初めてのもので、この先起こる事態は、他の国に先駆けて長寿化が進んだ日本での「人類未踏」の事態だといえないだろうか。

そうしたなか、超高齢夫婦二人暮らしが、今後さらに大量に増えていった場合、女性たちは倒れるまで食事をつくり続けるのだろうか。それとも、老いが進むなか、夫婦で協力し合い、力を合わせていくのか。そしてそれができない場合には、誰がその食事づくりを担うのだろうか。

現在でさえ、深刻なヘルパー不足の状況だといわれるのに、十数年後、ヘルパーは確保できるのだろうか。

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超高齢化によるシニアライフの持続可能性を直視する必要

「おまえ、百までわしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで」という昔の唄がある。歌詞を読むと、おまえは夫を指し、わしは妻を指すとのことで、女性の側が夫に100歳まで生きてほしい、夫婦そろって長生きしたいと願う内容のようだ。

だが、子ども家族と同居し、子や孫に守られて暮らしたかつての時代ならともかく、現代の高齢女性は、夫婦2人の在宅暮らしを、100歳まで続けたいと願うのだろうか。

食事づくりをはじめ、命と健康に関わるケア役割は、生きている限り、毎日、誰かが担い続けねばならない。超高齢で在宅で暮らす人たちの生活で、そうした役割は、誰が、どう担っているのか。子どもや地域の人をはじめ一般の人は、そうしたことについてどう考えているのだろうか。

超高齢で在宅暮らしを続ける高齢者、その家族の話を聞いていくと、一般には70代前半までの高齢者のイメージのままで見られることが多いが、それと連なる面はあるものの、それとは異なる状況、超高齢ならではのリスクをはらむ事実も見えてきた。

そこで、「介護問題」として語られることが多い超高齢者の問題を、「生活問題」の視点、特に在宅生活を支える女性の、食事づくりをはじめとする家事能力の陰りに焦点を置いて見ていくことにしよう。