話を聞き、一緒に考えたことが心をつかんだ
しばらくたってから、会の席で岡林シェフに思い切って聞いてみました。「初めてお会いした時に、取引OKに加え、会合にまで参加させていただいたのはどうしてでしょうか」
それを聞いて、シェフは私に言いました。「私のところにもいろいろな営業の人間がやってくるが、そのほとんどは自分たちの商品と条件がいかに良いかを並べるだけだ。こちらが望むことはやってくれるものではなく、やって欲しいものだ。君は私の話にずっと耳を傾けて、私が考えていることや、やりたいことをかたちにするためにはどうすればいいのかを一緒に考えてくれた。これなら司厨士協会の集まりに来てもらってもいいかなと思って声を掛けた」
こうして、違った見方や工夫によって自分の営業スタイルを大きく変え、いままでに取引のない、家具店、パチンコ店、葬祭会館、といった大きなところを、相次いで新たな取引先にすることができました。
全国のボトラー社と交流し営業ノウハウを学ぶ
さらに、フードサービス部門は仕事内容も特殊なゆえに、レギュラー部門ではほとんどなかった担当者レベルでの他のボトラー社との交流も容易にできる環境がつくられていました。
当時、全国には北海道から沖縄まで17のボトラー社がありました。それぞれが違った地域環境で営業活動を進めています。それは見方を変えれば、さまざまな営業のノウハウが全国にあるということです。これを自分の営業に活かさない手はありません。上司の承諾を得て、クルマを走らせ、お隣の山陽コカ・コーラ社の営業担当を訪ね、そこでの商談のやり方、提案内容を、現場で教えてもらいます。
また、北海道を含めた他のボトラー社の営業担当者が、現場視察の名目で四国に来てくれました。もちろんこちらの営業方法、現場での活動を紹介します。
前述の調理師の会、さらには社内営業で良好な関係となった他部署の協力。すべてを営業の力とすることで、業績も一気に向上してきました。新規開拓件数、機材の設置台数は、いつしかトップです。その年の売上は前年の1.5倍となり、さらに翌年は前年比で1.2倍と連続で2桁のアップです。
そして、私がセールスフォースコンテストで全国第1位になることができたのは、私に特別な能力があった訳ではありません。私が日本一になった理由を挙げるならば、いままでの延長線上に囚われず、ものの見方を変え、営業に工夫を加えたこと、社内外にネットワークを築いて多くの人に助けてもらったおかげです。
※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの