「手洗いする子どもは2つのタイプがいる」

一方、花王はO157の集団食中毒発生前に、2回ハンドソープを開発、発売していたが、いずれも失敗だった。さらにライオンのキレイキレイ発売後、あわてて薬用ハンドソープを発売したが、結果は惨敗。キレイキレイを抜くことはおろか、近づくことすらできなかった。

つまり、夏坂が着任するまでは「ハンドソープ開発」は禁句とも言えたのである。そうした背景があり、大熊は捨て身で開発に望んだ。

「ダメでもともと、思いきってやるしかない」と覚悟を決めた。

大熊は自ら家庭と幼稚園を訪ねて、手洗いの様子を見て、さらにお母さんと子どもたちに質問して歩いた。

子どもはゼロ歳、1歳であれば親が一緒に手洗いをする。成長して、幼稚園、保育園に通うようになってからひとりで手洗いをする。

その日もまた幼稚園で手洗いを見ていた大熊はあることに気づいた。

「手洗いする子どもは2つのタイプがいる」

ひとつはお母さんや先生に言われて、嫌々、手を洗う子どもだ。子どもは手洗いよりも遊びが好きだ。早く遊びたいのに「手を洗いなさい」と言われて、渋々、従う子どもが半数以上だった。

撮影=関竜太
ヘルスケア、スキンケア製品の開発担当だった大熊康資さん。泡で遊んでいる子供を見て「洗う楽しさ」をアピールしようと思いついた

「泡を使って遊ぶ」光景にひらめいた

もうひとつのタイプは手洗いをしながら遊び始める子どもだ。固形石鹸を泡立てているうちに楽しくなってしまい、泡で遊び始める子どもたちがいたのである。自分の鼻に泡を付けたり、友だちに泡をふーっと飛ばしたり……。泡を使って遊ぶ子どもは手を洗う子どもよりも数は少なかったが、どこの幼稚園にもいた。家庭でも泡で遊ぶ子はいた。

様子を見て大熊は考えた。

「泡だ。子どもは泡で遊ぶ。子どもたちに泡のハンドソープを作ればいい」

この発見が日本で初めての家庭用泡ハンドソープに結びついた。それまでも泡のハンドソープは実在した。しかし、特別な場所でしか使われていなかった。夏坂、大熊チームは誰もが手軽に使えて、しかも手洗いが楽しくなる泡のハンドソープを開発することにしたのである。

「手洗いが楽しくなる」というコンセプトが決まるまでに半年かかった。だが、中身の開発にはそれほど時間はかからなかった。花王には石鹸やシャンプーを開発するプロは何人もいた。彼らは肌に優しい弱酸性の泡ハンドソープにすると決め、泡立ちのよくなる処方を開発した。

こうして中身は完成したのだが、大きな問題があった。それは泡を形作るポンプフォーマーと呼ばれる部分のコストがとても高くついたことだ。

撮影=関竜太
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