30年前の「経済無策」を繰り返してはならない

90年代初頭、これほど政治が混乱しているあいだにも、日本経済はバブル崩壊という滑り台を滑降していく。結党宣言の時期から、21行がそびえ立っていた大手銀行が跡形もなくなる金融危機まではあと5年。あと講釈ではあるが、永田町も霞が関も経済政策には目もくれずに「政治改革」に明け暮れていたのは残念なことだ。この時代にも、日本の政治に「戦略的な経済政策」が不在であることが見えてくる。

鈴木洋嗣『文藝春秋と政権構想』(講談社)

結党宣言から30年が経過したいま、細川の旗揚げに対して、とかくの批判もあるだろう。政治的な血筋の良さ、恵まれた生活環境だからこそできたのだとする指摘もある。

ただ身近で接した者のひとりとして痛切に思うことは、あの「田中型政治」時代は、だれもが「こんちくしょう」にひれ伏していたなか、とにもかくにも手をあげたことは評価されるべきである。共同通信の幹部が口にしたように「角栄の子分」の書生論であったかもしれないが、何もしないで長いモノに巻かれていた永田町で暮らす人間に、細川を批判する資格はないだろう。

政治改革は確かに必要だ。しかし、そればかりを焦点にしていると経済政策が停滞する。言うまでもなく政治改革だけでは、国民の懐は潤わない。デフレ脱却が達成できるかの大切な時期に、90年代初頭のような経済無策を繰り返してはならない。

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