「知らんけど」は会話を続けることに有効なツール
一方で、京都大学の入試では、解答欄が非常に大きく、自分の意見を長文で書く能力が要求されます。
ひたすら会話を続けることが関西の人育ての極意ともいえそうです。
さて、関西の会話でよく使われる言葉に「知らんけど」という言葉があります。そして東京の人はこの言葉に対してあまり良いイメージを持っていないのがとても印象的です。
柴崎さんは「もし東京の人と大阪の人がこの会話をし、その場にいたら、めっちゃ解説に入りたい」といっていました。
柴崎さんによれば、大阪の人は会話を続けることが目的なので、「知らんけど」とつけることで、その話の信頼性が宙吊りになっても宙吊りのまま受け止められるため、まさに会話を続けることに有効なツールであると説明しています。
私も関西にいたときには「知らんけど」という言葉をよく聞きましたが、東京の人が思うほど、無責任な言葉だとは思いませんでした。
憶測ですが、この言葉が口癖の関西人の意識としては、「先ほどは『ありえへん』といい切ってしまいましたが、よく考えると確固たる証拠が十分とはいえないままいってしまいました。
よく知らずにいってしまいました。これは『私の感想』ですので、あなたの意見はそれなりに尊重します」と説明されているように感じていました。
さて、このように関西では1つの話をすると、様々な方面から意見がたくさん出てきます。この辺、「何でもよかよか」の一言で一方向に流れてしまう福岡とは大違いです。
私は福岡生まれで、東京で就職し、大阪で仕事をした人間なので、3つの文化の細かい違いを感じることがあります。
人気エコノミストの藻谷浩介さんとお話ししたところ、「関西には様々な観点から会話があるのでが深まる。福岡は何でもよかよかで認めてくれるので、話をしていて、気持ちは良いが議論にならない」とのことでした。これはなかなか鋭いコメントです。
「それほんま?」で、部下は考える
関西で仕事をすると特に感じるのが、本音で語り合う文化です。
実際私もこのような経験があります。ある日、私の友人がプレゼンをして、その中でA社の取り組みがとても素晴らしいと説明しました。その時それを聞いていたある業界の幹部が一言、「それほんまに思ってますか?」と質問しました。
私は友人のプレゼンを聞いているときには特に違和感なく聞いていたのですが、その幹部が一言「ほんま?」と聞いたことで、なんとなくそのA社の取り組みが綺麗事に思えたり、かっこいいことは事実だけども、本当は利益が出てないんじゃないかという疑問が生じたのも事実です。
関西を代表するグローバル企業であるダイキン工業の井上礼之さんも同じような発言をしています。
井上さんは、「常識、成功体験、専門家の知識はすべて過去から生まれたものであって、変化が激しい世の中では既に時代遅れになっている可能性が高い。
そのため、こうしたものに対しては、いつも健全な批判精神を持たなければならない」と、雑誌や様々なメディアで発言されています。
ちなみに、報道等によれば、ダイキン工業では、上司が部下に対して「ところで君はどう思うのか」「上司に歯向かってこい」と下の人の本音を聞き出す文化があるとのことです。上下関係なく本音で語り合える社内文化の重要性が示唆されていると思います。
東京と大阪で仕事を経験してみて、大阪のほうが東京よりも人口が少ない分、一対一の関係は深くなる傾向があると感じています。
そのため、少々脱線をしても、過去の付き合いから互いに許し合える空気があります。一方で、東京はたくさんの人がいますので、深い付き合いをする人の数が少し減ってしまう傾向があります。
大阪では深い付き合いをする人が多い分、そのグループでの議論が深まりやすいのかもしれません。確かに付き合いの深さが、しがらみのような感じになるのも無いわけでは無いのですが、それさえ注意すれば、奥深いコミュニケーションができているといえます。