PKOで経験した戦争を疑似体験させようとしたテロリスト

こうした状況下で、警察の一部幹部が先走って自衛隊をスケープゴートとするような行動をとったことから警察と自衛隊の対立が深まり、政府は自衛隊に都内の警備を命令する。

しかしある朝、陸上自衛隊の攻撃ヘリに見える機体が、東京湾連絡橋や勝鬨橋などの都心部の橋梁、高層ビルの通信アンテナを攻撃し、地下の通信ケーブルも爆破される。

さらに都心上空を遊弋ゆうよくする飛行船から通信妨害がなされる。あたかも自衛隊がクーデターのために武装蜂起したようにみえる状況だったが、それに引き続く行動はなかった。

そうした状況を見て、特車二課の小隊長である後藤喜一警部は、「情報を中断し、混乱させる。それが手段ではなく、目的だった」と見抜く。そして一連の行動は「クーデターを偽装したテロ」であり、犯人の目的は、「戦争状況を作り出すこと、いや、首都を舞台に戦争という時間を演出すること」だと看破するのである。

写真=iStock.com/Milan_Jovic
※写真はイメージです

実際、これらの行動を引き起こしたのは、3年前のPKOで部隊を全滅させてしまった柘植行人と同志たちであり、クーデターではなく自分たちが経験した戦争という「時間」と「空間」を、東京に暮らす人々に擬似的に体験させ、日常生活のすぐ近くに戦争があることを認識させることそれ自体が彼らの目的であった。

戦争を「モニターの奥」に押し込めてしまった社会

この作品で描かれているのは、東京から見た戦争の他者性、あるいは記号性である。物語の中盤では、柘植の同志だったが袂を分かった荒川茂樹と後藤との間で、戦争をどう考えるかについての会話が展開する。

その中で荒川は、戦後の日本が、戦争の「成果だけはしっかり受け取っていながら、モニターの奥に戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる、いや、忘れたふりをし続ける」と批判し、「この街では誰もが神様みたいなもんさ。いながらにしてその目で見、その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る、何ひとつしない神様だ」と語る。

柘植の起こした行動は、東京に暮らしていてさえ戦争が「モニターの奥」ではなくそれよりずっと近いところにあることを認識させようとするものであった。実際、自衛隊が警備のために出動した後で、子どもたちの通学や大人たちの満員電車といった東京のありふれた日常風景の中で、武装した隊員が警備にあたっているミスマッチな情景が丁寧に描写される。