置き去りになって半年後に樺太犬たちの盛大な葬儀が……

実は15頭の犬たちが置き去りにされてから半年後の1958(昭和33)年夏、「すべての犬が生き残っているはずがない」と決めつけて、葬儀が実施され、慰霊碑が建立されていたのである。

慰霊碑を手掛けたのは堺市の獣医で彫刻家の岩田千虎かずとらである。獣医師でもあった岩田は、動物園や軍役などで死んだ多くの動物を慰霊するため、多くの作品を手がけた人物として知られている。

その場所は大阪府堺市堺区の大浜公園。慰霊碑には15頭全頭の像が彫られ、タロとジロは遠吠えしている姿が生き生きと表現された(当時はコンクリート像だったが、後にブロンズ像に替えられた)。

慰霊碑には、このように刻まれている。

昭和三十二年二月十五日より昭和三十三年二月十一日まで
南極観測隊第一次越冬隊に協力した樺太犬の霊の為に

慰霊祭(葬儀)には、第1次南極越冬隊員らも参加。盛大な供養がこの慰霊碑の前で実施された。実に気の早いことだ。

この時のエピソードが興味深い。ある越冬隊員が弔辞を読んでいた時のことである。弔辞の結びで、「リキ、ゴロ、アンコ、クマ……」と1頭ずつ名前を読み上げていた。しかし、13頭目まで犬の名前を挙げていたが、どうしてもタロ・ジロの名前が出てこず、絶句したとも言われている。そして、仕方なく、そのまま「安らかに眠れ」と結んだというのだ。

奇しくも、タロとジロは生きていた。慰霊碑の建立はなんとも早まった「死亡宣告」であったが、「早く供養してあげたい」と考えた日本人らしい一面かもしれない。

タロとジロの生還は、日本中で感動の嵐を呼んだ。タロは4年ほどを南極で過ごし、日本に帰国。越冬隊を引退し、北海道大学農学部付属植物園の博物館で9年あまり飼育された。そして1970(昭和45)年、老衰で14歳7カ月の命をまっとうした。その亡骸は、同博物館で剥製にされて展示されることになった。

撮影=鵜飼秀徳さん「」
北海道大学附属植物園博物館に展示されているタロ

タロが展示されているのは、ヒグマやエゾオオカミなど、北海道由来の動物などが展示されている博物館本館(重要文化財)。1階の最奥部の白いガラスケースの中に入っており、いかに大切に飼育されていたかがわかる。真っ黒く、長い毛皮が特徴のタロは精悍な体つきで、まるで生きているかのようだ。わが国の樺太犬はすでに絶滅していると考えられており、貴重な史料としても重要だ。

撮影=鵜飼秀徳
重要文化財に指定されている北海道大学附属植物園博物館