両親と妹と一緒にロサンゼルスに移住

最初、僕は「行きたくない!」と両親に強く抗議しました。せっかく仲良くなったクラスメイトと離れたくなかったことに加えて、クラスには僕が小学校のころから片思いしていた女の子もいたからです。中学校に上がってからようやく両思いになれそうな気配があり、いま、ここで彼女と離れたくないとも思ったのです。

また、ちょうどその年に地域で有名な進学校に進学したばかりだった兄は、いまから学校を変えるのももったいないという理由で、そのまま日本に残ると決めていました。「お兄ちゃんが残るなら僕も残ってもいいじゃないか」と強く訴えましたが、両親としては一番手のかかる僕を日本に置いていくという選択肢はなかったのでしょう。

僕の必死の抗議もむなしく、両親と妹と一緒に僕は日本を離れ、中学1年生の6月にアメリカのロサンゼルスに移住することになったのです。

しかし、そんな「行きたくない!」と言っていたアメリカで、僕は日米における衝撃的な価値観の違いを目にすることになりました。

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僕の病気は驚くほどすんなりと受け入れられた

中学1年生の6月ごろ。日本から、アメリカへの引っ越しによる環境の変化はとても大きなストレスでした。

英語も喋れなかったので、言葉も通じなければ、友人関係もリセット。文化も、なにもかも違う。しかし、僕を日本人学校に行かせる選択肢は、両親にはなかったようで、日本での授業にもついていけるように週2~3回塾に通いつつ、現地校に通うことになりました。

現地の子ばかりで全くなじめないのではないかと不安だったのですが、いろいろな国籍や人種の人々が集まるロサンゼルスという土地柄もあってか、僕のようなアジア人をはじめ、多様な生徒がいたので、日本人である僕が悪目立ちすることはありませんでした。

最初のころ、とにかく大変だったのは、英語ができないことです。学校の授業には、正直全然ついていけていなかったと思います。

しかし、一番心配していた僕の病気については、アメリカの学校では、びっくりするほどすんなりと受け入れられました。