学校側は細かいことは質問せず「わかりました」

特に驚いたのが、学校側の受け入れ態勢についてです。

日本では、仮に僕が新しい学校に入る際は、両親がまず学校側と「こういう病気があるので、こういう対策が必要になると思う」と先回りして相談し、受け入れ態勢について話し合うという流れを取る必要がありました。

一般的にはわかりづらい病気なので、学校に受け入れてもらうまでには、なかなかいろいろな折衝が必要になりました。その点では両親にはとても負担をかけたと申し訳なく思っています。

一方、アメリカの学校に入る際、父親が頑張って僕の症状を英語の書面にして、「この子はトゥレット症で、授業中に声を出したり、身体が動いてしまったりする病気である」と伝えたら、学校側は細かいことは質問せず、「あぁ、そうなんですね。わかりました」と極めてすんなりと受け入れてくれたのです。

アメリカの学校の廊下を走る生徒たち
写真=iStock.com/monkeybusinessimages
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他人の病気をああだこうだ言う文化がなかった

いざ、入学初日。授業が実際に始まると、その冒頭で先生がさらっと「新しく転校生が来ました。この子はこういう病気だから声が出たり、動いたりします」と説明しただけで、僕の紹介は終了。その後は、普通に授業が進められました。

生徒側もその説明を聞いた後は、授業中に僕が声を出そうが、身体を動かそうが、みんな振り返りもせず、全く気にしないままに授業に取り組んでいました。

一度僕が授業中に音を出して、あまりに騒がしかったときに、クラスの女の子から「ちょっと静かにしてよ」と言われたこともありましたが、それでおしまい。

学校で出会った子たちに、「僕は勝手に声が出てしまう病気なんだ」と伝えても、「ふーん。そうなんだね」と言って大半の生徒はそれで何も気にしません。

いま思えば、アメリカでは、個人を強く尊重する文化があるので、他人の病気をああだこうだ言う文化がなかったのでしょう。

もちろん、たまたま僕が行ったエリアがカルフォルニアのロサンゼルスといういろいろな人が住む大都会であり、多様性への寛容な考え方が根付いている人たちが多かったというのも主な要因だと思います。もし、差別が横行している地域であれば、こんな風にストレートには受け入れてもらえなかったかもしれません。