義妹の正体

結局、義妹は、義母や片岡さん夫婦の都合も聞かず、義母の引っ越しの日取りを4月に決めると、義母の荷物を片岡さん宅に送りつけた。

片岡さんの家はぎゅうぎゅうのパンパン。それを居間だった部屋にざっくりレイアウトすると、高速で1時間半ほどかけて義母を車で迎えに行く。

義母は片岡さんの家に着くなり、疲れ果てて横になった。義母の荷物から通帳を見つけた夫は、「金庫に入れとこうか?」と訊ねると、「通帳見てみて」と義母。

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その途端、夫が声をあげる。毎日のように預金が下ろされており、残高は数十万円しかない。

夫が理由を聞くと、どうやら義弟ががんになってから、治療費や葬儀代、お墓、仏壇、そして義妹と暮らしていた家の光熱費全て、そして極め付けは、義妹の息子の結婚祝いに「100万円くれ」といわれ、出したと言うのだ。

「ひどいことばかりしてきた義妹のために、なんでそんなにお金出してあげたん?」

びっくりした片岡さんが思わず口にすると、

「出さんかったら、もっとず~っと前に追い出されてるがな!」

義母は大きなため息混じりに吐き出した。義母のアクセサリーケースには何も入っていなかったため、聞くと、義妹が「ちょうだい」と言うからあげたと言った。片岡さんは、まだ義父が健在だった頃、義母は義父に買ってもらったお気に入りのカメラを、片岡さんたちが見ている前で、義妹にあげてしまったことがあったのを思い出した。義母は「ちょうだい」と言われると断れない性格だったようだ。

義妹は義母からほぼ全財産をむしり取り、用済みになったから追い出したのではないかと思われた。

義母と長女と孫との同居

一方、片岡さんの実家も平穏ではなかった。

片岡さんは4人きょうだいの末っ子。父親は、60歳の頃に慢性肝炎と診断されたことを機に、少しずつ長兄に薬局経営の仕事を託し、空いた時間で釣りやカメラの趣味を楽しみ始めた。

70歳の時、「始発で行ったのではいい釣り場を取られてしまう」と言って、自動車免許を取得。71歳で初めて高速道路を運転し、釣りをして帰宅。その翌日、脳梗塞を起こした。

父親は入院すると、肝臓がんが見つかる。半年から1年という余命宣告を受けると、治療の甲斐もなく、1年後に亡くなった。まだ片岡さんが30歳の時だった。

遺された母親は、30年近く悠々自適な一人暮らしを満喫していたが、2015年の92歳のとき、血尿が出たことをきっかけに病院を受診すると、腎臓がんが発覚。それから片岡さんは、月1〜2回、電車で1時間半ほどかけて実家に行き、母親の生活をサポートした。

96歳でペースメーカー埋め込み手術のため入院した2週間は、毎日2時間かけて面会に通っていた。義母を引き取った2018年4月、61歳の片岡さんは、週4日、教育系の会社でパートとして働いていた。

「私は身内でも距離感は大切だと思っていたので、『ここまではできます。ここからはできません』という線引きをました。具体的には、『自分でトイレに行けること』『私は仕事を辞めない』この2つを、何度も義母に確認していました」

要介護2で足の悪い義母の万が一の時のために、車椅子は予めレンタルしておいた。まずはデイサービスを週2で利用し始め、慣れてきたら週3に増やした。入浴は片岡さんが手伝っていたが、腰を痛めてしまい、デイサービスで入れてもらうことにした。

ところがその3年後のこと。車で10分のところに住む片岡さんの長女(36歳)とその小学生の息子(小3)が、片岡さんの家で同居することになった。理由は、小学生の息子が担任教師からの陰湿ないじめに遭い、心身症と診断されたこと。さらに、息子に対して真摯な対応をしてくれない学校側との対応に疲れ、長女自身もうつ病を発症してしまい、息子の主治医から片岡さんの家での療養を勧められたためだ。

「義母介護、私の母の通い介護が重なっていた時期と、うつ病の長女と心身症の孫が我が家で療養していた1年間は、時間的、精神的に大変でした……」

基本、義母がデイサービスに行っている間に仕事をするか、実母のサポートをしに行っていた。うつ病が重かった長女は、ほとんど家事ができない。一週間のうち何日かは、仕事の後に義母の通院付き添いや、実母の通院を2科こなさねばならない日もあった。