前回も述べた通り、現状の埼玉県の県立高校は、良い塩梅にさまざまな男子校、女子校、共学があり、男女ともにある程度自由な選択をしやすいエリアです。主体的に調整していくほどの不便なのか考える余地がありそうです。

また、「地域格差が問題だ」と指摘する意見として、県教委より「男女ともに(地域差なく)自分が学びたい学校に自宅からアクセスできるようにするかが大きな課題である」との指摘も出ました。しかし、埼玉県では2004年より学区制の廃止をしており、県内であれば、居住エリアに関係なく県立高校に通うことが可能。

希望する高校が自宅から近い人、遠い人などの差はあると思いますが、通学するのは、幼稚園児や小学生でなく、自力で電車やバスに乗ることができる成人手前の10代半ばの子供たちです。6歳そこそこから電車やバスで1時間程度の通学をしている私立小学校の子たちが存在することを考えれば、そんなに大きな課題のようには感じません。

高校生を相手に学びの「選択肢」を充実させたいとしながら男女別学という選択肢を減らそうとする、自宅からのアクセスを懸念事項に持ち出す……子供たちのことを真剣に考えていそうな言葉を並べながらも、真摯には向き合ってくれていないのではないかと残念ながら懐疑的になってしまいます。

「高校共学化」は誰のための施策?

また、これまでのアンケートや意見交換会の軌跡をすべて水の泡とする県教委の「共学化は、県教委が主体的に判断することで関係者(子供たち、保護者、卒業生など)の合意は前提としていない」とのパワーワードも見過ごせません。

「当事者の意見に今後も耳を澄ませる」という発言も併せてありましたが、関係者の意志に関わらない決定を今後も行っていくという前振りなのではないかと懸念されます。教育改革が必要と言いますが、それは一体、誰のためのものなのでしょうか。

誰と向き合い、誰のために男女別学の撤廃に走ろうとしているのでしょうか。

絶対に抜けてはいけない当事者の視点をあえて外すようなスタンスに不安を感じます。

今回、共学化の引き金を引いた苦情はたった1件。

対して、男女別学関係者が参加した共学化反対署名は3万件以上にものぼり、母校の存続を訴えて、男女別学出身者も声をあげています。

今年4月には、浦和高校、浦和第一女子高校、川越女子高校、春日部高校の同窓会長らが男女別学存続を訴える会見に参加。共学化の根拠の一つとされていた男女共同参画推進の観点から、むしろ別学が優位であることを主張しました。

「異性がいないことで、『男子だから○○、女子だから○○』と感じずに生活を送ることができる別学ゆえ、性別に関する偏見から解放され、社会に出た後も偏見に気づける」「共学になることで、社会の男女の役割固定化が持ち込まれる可能性がある」といった彼らの意見は、別学高校出身者の社会的性役割観について研究する私自身もおおむね賛同できる意見のように感じます。

これだけ多くの反対や疑問の声があがっているのにもかかわらず、1件の苦情にばかり耳を傾けたような「共学化を主体的に推進していく」という結論は、いささか不自然ではないでしょうか。ただ単に少子化の進行を懸念して、県立高校を減らす大義名分が欲しく、たまたま目についたのが男女別学だったのではないか、公表できない何か裏の理由が潜んでいるのではないかとついつい勘ぐってしまいます。