第2艦隊・伊藤整一長官がどうしても「確約」をとりたかったこと
【半藤】大和特攻の決定が、連合艦隊の参謀長だった草鹿の、留守中に決まったことはどうも本当らしいです。私にも本人がそう語りました。
【保阪】事実とすれば組織としてきわめて異常ですね。
【半藤】参謀長に相談なしなんて、おっしゃるとおり異常ですよ。
【保阪】草鹿は大和の最後についても、とても大事なことをしゃべっています。
伊藤[整一]長官はいつもの温顔で聞いていたが「連合艦隊司令部の意図はよく解った。ただ長官の心得として聞いておきたいことは途中損害のためこれから先は行けなくなったと云うときどうすればよいのか」と聞かれたので「そのときこそ最高指揮官たるあなたの決心一つじゃありませんか。勿論連合艦隊司令部としてもそのときには適当な処置をとります」と答え、私のミッドウェー敗戦のときの体験を話した。伊藤長官には安心の色が見えニコニコして「よく解った、気持ちも晴々した」と言ってあとは雑談に入った。
半藤さん、この証言はどう思われますか。
【半藤】まさにここがふたつ目のポイントでして、注意を要するところだと思います。額面どおり受け取るわけにはいかないでしょうね。というのは戦況が極まってしまったときの判断について、伊藤整一中将が「これから先は行けなくなったと云うときどうすればよいのか」と尋ねたことになってしまっている。要するに自らの意見はないまま、草鹿に尋ねたと。これは事実とちょっとニュアンスが違うんです。伊藤さんは「そのときは俺が自分で判断したい。それでいいな」と言い、草鹿は、やむを得ないと認めたにすぎないのです。
特攻なのに…燃料はほぼ満タン、食料をたくさん積み込んだ
【保阪】草鹿さん、「伊藤長官は安心の色が見えニコニコして『よく解った、気持ちも晴々した』と言って」などと少々芝居がかったような言い方をしていますね。
【半藤】このときに同席していた連合艦隊参謀の三上作夫は、自分も大和に同乗させてくれと言ったら、伊藤は認めないんです。三上が私にそうハッキリ言いました。伊藤は新任の士官などを出撃前に退艦させたりしておりますから、これも、無意味な作戦に巻き込まない配慮であったかもしれません。
【保阪】伊藤は教育畑が長かったから、あるいはそうかもしれませんね。大和は軽巡洋艦矢矧と駆逐艦冬月、涼月、朝霜、初霜、霞、磯風、雪風、浜風を引き連れて、昭和二十年四月六日に山口県の徳山沖から出撃します。
僕は以前に調べたことがあるのですが、大和は当初、燃料を特攻機とおなじように片道分だけしか搭載されない予定だったのが、それでは死ねと言っているようなもので忍びないと、呉の鎮守府の燃料参謀が必死で石油をかき集めたという。その甲斐あって大和の燃料タンクはほぼ満タンになったそうです。
【半藤】乗組員の死出の門出を飾るのに、腹いっぱいにさせなくてはならないと、糧食もたくさん積んだそうですよ。